これはとてもおもしろい。作、演出は劇団競泳水着主宰の上野友之さん。彼が20代の女性を主人公にした作品『IN HER TWENTIES』の30代ヴァージョンをライトアイの笠原希さんが大阪で企画した。
10人の女たち(いずれも30代)が、ひとりの女の30代を演じる。特定の「誰か」ではなく、どこにでもいる「あなた」として見せる。彼女たちはひとりの女性の10年間を体現する。順に演じるのではなく、渾然一体となって彼女を見せる。30代に入った女と、40歳を目前にした女。2人がインタビューを受けている。今どう思うか、ということを彼女たちは語る。10年前の自分と、10年後の自分が舞台の両端に座る。舞台中央には8人の女たちが座る。彼女たちがその間の10年間を語る。ひとりの内面や、出来事を演じる。さまざまな側面から見せていく。時には対立したり、共感したりしながら、彼女の30代の時間が描かれていくことになる。まるでドキュメンタリーのようにリアル。これはお話ではなく、その瞬間、瞬間のリアクションを綴る。しかも、その瞬間の判断がその先を見えにくくする。回想ではない。8人が見せるのはリアルタイムのドキュメントだ。それをひとつの時代の入り口に立った女と、出口に立つ女のはざまで見せる。
作品は2本ある。2つの台本は、同じ女がどう選択したのかで変わっていくふたつの道を提示する。仕事をとるか、家庭を(出産!)をとるか、2ヴァージョン。それを別々の10人が同じスタイルで演じる。
最初に見たことも影響しているのだろうが、仕事を取って東京に行き、編集者として活躍する「華やか」バージョンが圧倒的に面白い。大阪から東京に行き、出版社に勤務して、自分の才能を開花させる。さまざまな恋愛も体験して、人生を謳歌する。でも、離婚してひとりぼっちになる。「麗らか」バージョンは、大阪に残る。仕事をあきらめ、家庭に入り、出産を取る。子育てしながら、パートで働き、充実した人生を楽しむ。でも、ほんとうにそれでよかったのか、わからないし、なんだか物足りない。
どちらが正しくて、どちらが間違いである、なんて言わない。そういう問題ではないからだ。これは2本セットで1本の芝居として成立しているとも言える。しかし、人生は2度はない。だから、1本だけ見ても十分に楽しめる。そんな芝居になっている。それでいい。
20人の演じる1人の女性の生き方は、彼女の人生であると同時に、誰もの人生でもある。彼女は特定の誰かではない。あなた自身だ。そんな作り手の姿勢がとても好ましい。
10人の女たち(いずれも30代)が、ひとりの女の30代を演じる。特定の「誰か」ではなく、どこにでもいる「あなた」として見せる。彼女たちはひとりの女性の10年間を体現する。順に演じるのではなく、渾然一体となって彼女を見せる。30代に入った女と、40歳を目前にした女。2人がインタビューを受けている。今どう思うか、ということを彼女たちは語る。10年前の自分と、10年後の自分が舞台の両端に座る。舞台中央には8人の女たちが座る。彼女たちがその間の10年間を語る。ひとりの内面や、出来事を演じる。さまざまな側面から見せていく。時には対立したり、共感したりしながら、彼女の30代の時間が描かれていくことになる。まるでドキュメンタリーのようにリアル。これはお話ではなく、その瞬間、瞬間のリアクションを綴る。しかも、その瞬間の判断がその先を見えにくくする。回想ではない。8人が見せるのはリアルタイムのドキュメントだ。それをひとつの時代の入り口に立った女と、出口に立つ女のはざまで見せる。
作品は2本ある。2つの台本は、同じ女がどう選択したのかで変わっていくふたつの道を提示する。仕事をとるか、家庭を(出産!)をとるか、2ヴァージョン。それを別々の10人が同じスタイルで演じる。
最初に見たことも影響しているのだろうが、仕事を取って東京に行き、編集者として活躍する「華やか」バージョンが圧倒的に面白い。大阪から東京に行き、出版社に勤務して、自分の才能を開花させる。さまざまな恋愛も体験して、人生を謳歌する。でも、離婚してひとりぼっちになる。「麗らか」バージョンは、大阪に残る。仕事をあきらめ、家庭に入り、出産を取る。子育てしながら、パートで働き、充実した人生を楽しむ。でも、ほんとうにそれでよかったのか、わからないし、なんだか物足りない。
どちらが正しくて、どちらが間違いである、なんて言わない。そういう問題ではないからだ。これは2本セットで1本の芝居として成立しているとも言える。しかし、人生は2度はない。だから、1本だけ見ても十分に楽しめる。そんな芝居になっている。それでいい。
20人の演じる1人の女性の生き方は、彼女の人生であると同時に、誰もの人生でもある。彼女は特定の誰かではない。あなた自身だ。そんな作り手の姿勢がとても好ましい。