70年代、藤田敏八監督は低迷する日本映画(にっかつ=日活映画)を牽引し、時代の最先端の作品を作っていた。リアルタイムには少し遅れたけど、ロマンポルノに移行した後も一般映画で、ポルノ映画で、と傑作を連打していた。
これはそんな時代の隠れた一作である。秋吉久美子3部作である『赤ちょうちん』『妹』『バージンブルース』の直後に作られた作品。これまでなかなか見る機会がなかったが、これをBS松竹東急がオンエアしてくれた。楽しみにして見た。当時世評は最悪だったようだが、今見たらやはり最悪だった。どうしてこんな映画を作ったのか、頭を抱える。
藤田映画はこの作品直後の75年お正月映画『裸足のブルージン』(なんと和田アキ子主演。百恵映画『絶唱』の併映だった)からはすべての作品を劇場公開時に見ている。あれも酷い映画だった。秋吉久美子との2本。『赤ちょうちん』『妹』は彼の初期の代表作であろう。その後の『バージンブルース』は酷いと思ったから、この時代彼は低迷していたのだろう。与えられた企画を仕方ないから引き受けてやる気なく作ったって感じ。いずれもなんだか不貞腐れた映画だ。
その後、2年の空白以降、まずにっかつロマンポルノに復帰して自分らしい映画を作る。その延長上に代表作品である『帰らざる日々』『もっとしなやかに、もっとしたたかに』(奥田瑛二、森下愛子のデビュー作!)がある。78年、79年の話だ。88年最期の映画になった『リボルバー』まで。アイドル映画も含めて出来不出来はあるが、納得する映画を作ったと思う。改めて見ると、最期の映画がこの作品と同じ沢田研二主演だったのはなんらかの運命的なものがあったように思える。
さて、ここからようやく『炎の肖像』の話になる。この映画の主人公ジュリーは最低の男だ。ミュージシャンでそれなりに売れてるようだが、女にだらしなく、自由奔放。ふらふらしている。本人そのまま、のはずはない、けど。本人をトレースしている。架空のジュリーをイメージしたキャラクターを本人が演じ、ライブシーンは本人のライブからのドキュメンタリー。
歌っているジュリーの内面がドラマ部分という構成。(脚本は内田栄一)『八月の濡れた砂』にも通じる世界観が展開する。だけど野放図な姿がどこにも行き着かないまま突然終わりを迎える。まるで突き放された気分だ。だからどうした? その先こそ、見たい。監督が藤田敏八だけでなく、加藤彰との共同となっている。時間の関係でひとりでは撮れなかったのかもしれないが、この野心作な作品が中途半端な映画になったのは残念だ。これのリベンジが遺作『リボルバー』だったのか、と年譜を見て思う。余談だが、この映画には秋吉久美子だけでなく初々しい原田美枝子も出ている。