
2時間20分の至福。こんなにも素敵な映画が見られて本当にうれしい。まるで事前情報なしにして見たのもよかった。佐々木昭一郎監督作品。ただそれだけで、もう何もいらない。彼が作るものならば、もうそれだけで最高のものであることは決まっている。
でも、それにしても、この自由さ。いいのか、こんなことをして、と、思わず見ている僕たちのほうが心配するほど。でも、監督は一切躊躇しない。いいんじゃない、と飄々としている。もうかなわないや、思う。78歳の老人は僕なんかより、若い。(でも、サイン会の時、少しお話させていただいた時、「あなたは、30代にしか見えないよ!」と言われる。僕も若い、らしい。へへへ。)
漢江から始まる。佐々木さんは、川の流れが大好きなのだ。そこに暮らすミンヨン一家の描写。母と父、妹との4人家族。ミンヨンは一枚の写真から壮大な夢を見る。そこには若い日のミンヨンの祖母と一緒に、なんと若き日の佐々木監督のお母さんが映っている。
ソウルから東京へ。モーツァルトに誘われてドラマは思いもしない方向へと、どんどん突き進んでいく。現実か、妄想か、夢と幻。ドキュメンタリーに再現ドラマ。なんでもありの玉手箱。渋谷の路上で少年に追いかけられて、「僕と結婚して下さい!」なんて言われるのだ。10歳くらいの少年はやがて少年時代の佐々木昭一郎自身で、ミンヨンは彼の母親となる。戦時下の東京でのドラマがどんどん展開していき、なんなのだ、これは、と思う間もなく、止まることなく、どんどんお話は流れていく。ミュージカル映画のように、数限りなき歌が、ミンヨンによって歌われていく。彼女の歌声に誘われて懐かしい歌の数々を楽しむ。怒濤のような歌の洪水。歌謡曲から民謡、唱歌、古今東西さまざまな歌が登場していく。
佐々木監督の想いのまま。こんな個人的な思いつきのような映画が作られていいのか、と。もちろん、いいのだ。これがいいのだ。自由奔放なイメージの洪水を全身で浴びてこの世界を堪能する幸福。もうずっと終わらないで欲しいと思うくらいに幸せ。
日本語、英語、韓国語。3ヶ国語を自由自在に操り、このボーダレスな映画を往還していくミンヨンの冒険は、僕たちがいかにいろんな制約に囚われて自由じゃないかを思い知らされる。いつも笑顔を絶やさず、どんな時にも、(なんと、泣いている時でも)笑ってる。それがまるで不自然じゃない。同時通訳で失敗して(でも、このエピソードが笑える!)泣いている妹を励ますシーンもいい。
ミンヨンが本当は東京に行ってなくても、かまわない。(ラストで夢から目覚めるシーンがある。)ここに描かれることのすべてが夢で構わない。ふつうなら夢オチって、映画としては最悪のはずなのに、それでいい、なんて。もうそれだけでこれは奇跡の映画ではないか!
語り尽くせない。極上の映画に「ことば」なんかいらない。ドレミだけでいい。モーツァルトが死ぬ2日前に作った曲の調べに乗せて、「どうしてこんなにも明るい曲が作れたのか。」ただ、それだけをスタートにして、どこまでも、どこまでもイメージは膨らんでいき、収拾なんかつかないし。つく必要はない。