
今時こんな昭和テイストの映画が作られるだなんて驚きだ。(描かれる時代は明治だけど)敢えて古いタッチを目指したというより、まるで考えもなしに作っている気がした。これは最初から「今の映画」であることを無視している。こんなにも真面目に感動ドラマを一心に作る時代錯誤ぶりには軽い衝撃を受けた。ここには映画としての仕掛けがない。今これを作る意味がわからない。この無邪気な映画は悪気なんてまるでない。純真すぎて眩しいくらいだ。だけど、それでは映画にならない。
これにはいろいろ問題はあるが、まず、この映画には主人公がいない。そこから始めよう。映画には主人公は必要だ。映画がどこに視点を設けているか。どこに感情移入して見るべきなのか。そこを明確にしていく必要がある。というか、普通何も考えずともそうなる。なのにこの映画は、ない。責任の所在が明らかにされないから、入り込めない。クレジット上は北乃きいが一番にされているが、彼女は話の中心にはなってない。では眼鏡作りを始める兄弟か、というとそこも傍観者の位置にしかいない。だからと言って、職人たちのこれは群像劇だから、というわけではない。視点がないから映画まで傍観者になる。他人事でしかないから、感動もない。悪い映画ではないけど、これではいい映画にはならない。
福井の眼鏡作り感動秘話というパッケージングには偽りないが、それだけ。NHKの再現バラエティ番組レベル作品である。
原作が藤岡陽子でポプラ社の本だから、きっと小説自体は面白い作品のはず。お話だけをなぞって魂を入れずに表面的な模倣になってしまったのだろう。ただの美談を見せられても鼻白むばかりだ。真面目な映画だけに残念でならない。