とてもいい作品だと思うけど、惜しい。生田斗真が女に見えないからだ。無理して女らしくしなくても、そこに彼女がいるだけで、女らしさが立ち上るといいのだが、無理がある。
男の体で生まれてきた女の孤独。自分の性癖を理解してくれ全力で守ってくれる母親(田中美佐子)がいたから、ちゃんと女性として生きてこれた。そして、素敵なパートナー(桐谷健太)にも恵まれて、介護士としての仕事を持ち、幸せな日々を送る。でも、彼女のことを理解しない周囲の偏見や差別はずっと付きまとうはずだ。(映画はそういうシーンはほとんど描かないけど)幼いころからずっとそんな世の中と戦ってきた。その先に今の幸福な時間があるのだ。彼女はそれを自分の力で勝ち取ってきた。そんな女性、リンコさんを生きた生田斗真はとてもよく頑張っている。だが、それでも違和感は拭い去れない。映画はとても自然体で彼女を描く。どこにでもある穏やかな日常のスケッチ。あるカップルの生活として彼らの日々を描いていく。特別なことではない。
そんな彼女のもとにひとりの女の子がやってくる。桐谷の姪っ子で11歳の少女だ。育児放棄の母親に置き去りにされた。3人の同居生活が淡々と描かれる。感情の動きをことさら強調しない。あるがままに描いていく。でも、トランスジェンダーの女性がそこにいるということだけで、いろんなことが普通じゃなくなる。この映画の描こうとするものは、彼女を特別扱いするのではなく、その困難をどこにでもある「ひとりの女性」の問題として見せることだ。子供を産めないこと。女性と認められないこと。結婚の困難。この先の人生。不安と孤独の中でみんなに支えられて生きていく。対面する11歳の少女との交流を通して、お互いの孤独を慰め合うのではなく、個と個として向き合い、愛情を育てていく。でも、親子ではないという残酷な事実を受け入れる。
生田斗真がリンコを演じるというレベルではこの映画は成立しない。リンコは彼そのもの、と思わせるところまで行くとようやくこの世界は立ち上がる。描かれることは理屈ではわかる。だが、それが心に沁みてこないのだ。残念だが、そんなリアルさにはまだ到達していないから、この映画は、よくできたままごとにしか見えない。
男の体で生まれてきた女の孤独。自分の性癖を理解してくれ全力で守ってくれる母親(田中美佐子)がいたから、ちゃんと女性として生きてこれた。そして、素敵なパートナー(桐谷健太)にも恵まれて、介護士としての仕事を持ち、幸せな日々を送る。でも、彼女のことを理解しない周囲の偏見や差別はずっと付きまとうはずだ。(映画はそういうシーンはほとんど描かないけど)幼いころからずっとそんな世の中と戦ってきた。その先に今の幸福な時間があるのだ。彼女はそれを自分の力で勝ち取ってきた。そんな女性、リンコさんを生きた生田斗真はとてもよく頑張っている。だが、それでも違和感は拭い去れない。映画はとても自然体で彼女を描く。どこにでもある穏やかな日常のスケッチ。あるカップルの生活として彼らの日々を描いていく。特別なことではない。
そんな彼女のもとにひとりの女の子がやってくる。桐谷の姪っ子で11歳の少女だ。育児放棄の母親に置き去りにされた。3人の同居生活が淡々と描かれる。感情の動きをことさら強調しない。あるがままに描いていく。でも、トランスジェンダーの女性がそこにいるということだけで、いろんなことが普通じゃなくなる。この映画の描こうとするものは、彼女を特別扱いするのではなく、その困難をどこにでもある「ひとりの女性」の問題として見せることだ。子供を産めないこと。女性と認められないこと。結婚の困難。この先の人生。不安と孤独の中でみんなに支えられて生きていく。対面する11歳の少女との交流を通して、お互いの孤独を慰め合うのではなく、個と個として向き合い、愛情を育てていく。でも、親子ではないという残酷な事実を受け入れる。
生田斗真がリンコを演じるというレベルではこの映画は成立しない。リンコは彼そのもの、と思わせるところまで行くとようやくこの世界は立ち上がる。描かれることは理屈ではわかる。だが、それが心に沁みてこないのだ。残念だが、そんなリアルさにはまだ到達していないから、この映画は、よくできたままごとにしか見えない。