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映画・演劇のレビュー

『007 慰めの報酬』

2009-01-31 22:07:52 | 映画
 どうしてこんなことになったのだろうか? 見ながらどんどん違和感が膨らんでいく。007を見ているはずなのに全然ときめかない。それどころかだんだん退屈してきて、気がつけば居眠りしてる! あまりのショックさに目が覚めてしまったが。しっかり見ていても駄目だった。乗れない。

 『カジノロワイアル』は別に嫌ではなかった。ダニエル・クレイグのボンドはなんだかムキムキで、甘くて優男のイメージの従来のボンドとは違うけど、こういうのもありだなと思った。(僕の中ではボンドは今でもロジャー・ムーアだ。リアルタイムで初めて見た007が彼の『黄金銃を持つ男』で、子供心にズドンと沁みてきた。あの軽やかさがかっこいいと思ったのだ。大人たちはショーン・コネリーだと言っていたが、当時の子供はそんな渋いオヤジよりもバカっぽいロジャー・ムーアだった。断然!)だが、今回つまらなくはないが、嫌だった。それはリアルな007が「007の世界」を壊しているように思えたからだろう。

 007は軽薄で、ハリボテ的で、ノーテンキな超大作映画なのだ。いつも涼しい顔して、とんでもない武器を使い、ありえないアクションを軽々こなす、そんな存在で悩んだりしてはならないのだ。正直言って今回の映画が駄目だったのは、彼が傷だらけになったり、恋人の死を引きずってたり、復讐に燃えたり、なんだか007らしくないことのオンパレードだ。お祭り映画だったはずの007から隔世の世界が展開する。シリアス7なんて、007ではない。

 まぁ、簡単に言うとそういう理由で駄目だったのだが、本当はそんな簡単なお話ではない。実を言うと、お正月映画から007が外された時、なんだか嫌な予感がしたのだ。この手の映画はおとそ気分で何も考えずに見るものだ。なのに、なぜ第2弾公開なのか。そう考えた時、時代がもう007を求めなくなったのではないか、なんて、そんな気分。世界中で大ヒットしても、日本ではもう無理ではないか。この手のアクションにはもう飽きたのだ。だいたい『ダイハード』以降、アクション映画の方向性は変わった。もう今は007の時代ではないのだ。そんな気分が新春第1弾のはなやぎからこの映画を追い出したのではないか。

 とはいえ映画の出来自体は悪くはない、と思った。だって監督はあの『チョコレート』や昨年の『君のためなら千回でも』のマーク・フォスターである。つまらないはずがない。だが、彼のようなタイプの人がどうして007なんかを次回作に選んだのか、正直言うと不思議でならなかった。彼の持ち味が生かされるような素材ではない。まぁ、いろんな冒険をしたいのだろう。挑戦することは悪いことではない。

 だが、仕上がった映画はなんだか中途半端な出来で納得はいかない。人間ドラマに重きを置くわけではない。(007である。そんな007は見たくない。)アクションのつるべ打ちにはなっている。だが、なんか無理してる。ようするに、バカになりきれないのだ。まぁ、バカを作ろうともしていないのだが、賢い映画には出来ない。そのジレンマが映画をつまらなくした。

 劇場は年齢層が高く、若い人があまりいなかったのにも驚いた。007はもう子供や若い女性にはアピールしないのだ。それって想像したことだが、なんだかショックだ。もう時代は007なんか必要としていない。なのに今だにせっせと作っている。時代錯誤も甚だしい。なんだか、そんなことを書く自分も嫌だが。

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