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映画・演劇のレビュー

劇団アンゴラ・ステーキ『ザ・クリープショウ』

2024-08-03 18:14:00 | 演劇

初めて見る劇団だが、先日見た空の驛舎のアフタートークで彼を見て、少し興味を持ったから、見ることにした。作、演出の中村圭吾。彼が描くこのバカバカしい不条理はなんだかよくわからないけど楽しい。始まったばかりは何がやりたいのか、まるで摑めないし、先が見えないからだんだんイライラしてくる。なのに芝居は悠々たるタッチ。やがて諦めてこの芝居に慣れてきたら、これをそのまま受け入れることができるようになる。

 
2時間30分の大作。途中休憩10分を挟んだ2部構成。噛み合わない会話の繰り返しが延々と続く。しかも繰り返しも多々ある。話が先に進まない。
 
冒頭の船の上でのやり取りはまるでアングラ演劇だ。黒のアイマスクで目隠しした女。箱の中に閉じこもっていた骨壺を抱える男。彼女は彼に檳榔樹を売る。彼は躊躇してなかなか買うとは言わない。基本ふたりの会話劇だが、そこにストーリー性は希薄。
 
やがて主人公のふたりの周囲の人たちも基本ふたりセットで登場する。船上、劇場、傘を持った男の屋敷。雨が降り続いている。いや、降っていない。芝居の稽古。現実と演劇。死んでしまった母とそっくりの女。母の骨を齧る女。骨はお菓子で簡単に口にする。後半になると娼婦になる修道女たちも登場する。ふたりはメイクをする。これから本番が始まるのか。仕事に出るのか。これはすべてただの見せ物小屋の演目なのか。
 
失った母に似ている女には母と同じアザが左頬にある。彼女は母を演じる。母親が戻ってくる幻想。これまでのすべてはお芝居だったかのように、役者たちが並んで芝居が終わった後の挨拶がある。拍手する観客もいる。だが、まだまだ芝居は続く。主人公の地獄めぐりは終わらない。
 
女と男。母と息子。死者と生者。対立するものがやがては同じものに吸収される。人と人。終盤には再び同じことが字幕で語られる事も。
 
この不条理の先には何があるのか。答えはない。これは独りよがりスレスレの芝居である。だけどなんとか踏みとどまったのは、作り手が熱くならずに冷静だからだ。理屈に逃げず、観念論でケムに巻かず、相対するものとしっかり向き合う。決して上手くはないが、誠実な芝居だから好感が持てる。

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