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映画・演劇のレビュー

『時々、私は考える』

2024-07-31 11:17:22 | 映画

こんなタイトルってある? 原題ではもっとストレートに『死について(考える)』とある。寂しい町。ひとり暮らしの若い女性フラン。趣味はない。強いて言えば仕事。だけど、仕事が楽しくて、というわけではない。人付き合いが苦手。恋人もいない。恋愛経験もない。自分が死ぬことを空想するのが、趣味かも。そんな主人公を、あの『スターウォーズ』のヒロイン、デイジー・リドリーが演じる。ほとんどセリフはない。しゃべらないから。レイチェル・ランバート監督作品。

冒頭の定年退職で去っていく女性のお別れ会でも何もしゃべることはない。入れ替わりでやって来た新しい人は社交的で明るい男性。彼とデートする。映画を見て、食事をして。なんとなくいい雰囲気になる。だけど、上手く付き合えない。彼を怒らせてしまう。ずっと寝たまま過ごす週末。月曜日の朝、職場を去った女性とカフェで偶然再会する。ここからエンディングに至る。
 
たった93分の映画は、あまりに単調でこんなに短いのにいささか長く感じる。でも、それはつまらないというわけではない。いや、どちらかというと、とてもいい映画だ。その退屈さがこの映画の魅力でもある。カウリスマキやジャームッシュの映画みたいな感じ。明らかにその線を狙っている。あざといかもしれないけど、それでもそれでいい。ふたりを足して2で割ったみたいな映画である。だからやはりあざとい。
 
だけどこの寂しさはいい。あからさまなのに、とても爽やか。これは孤独な女性がほんのちょっと成長する話。彼女は全く心を言葉にはしない。しゃべることがないし、上手くしゃべれない。しゃべりたくない。ひとり暮らしで朝起きて仕事に行って帰って来たら寝る。そんな毎日の繰り返し。だけどそれに疑問を抱かない。時々、死ぬことを夢想する。それは怖いことではなく、甘美な夢だ。だがもちろん死にたいわけではない。
 
冒頭、町の風景がスケッチされる。さりげなく。そこに1匹の鹿がいる。それに呼応するようにラスト、町の点景に中に2匹の鹿がいた。孤独じゃなくなったという符合ではなく、たまたまである。それらのシーンは、彼女が彼に抱き止められるラストシーンから続く。ハッピーエンドを思わせるけど、これはもっとさりげない。

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