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映画・演劇のレビュー

青年団+第12言語演劇スタジオ『新・冒険王』

2016-02-26 22:22:24 | 演劇

 

バックパッカーたちの旅があれから22年を経て、どう変わったのだろうか。それをさらに14年を経た今、どう見つめるのか。平田オリザの代表作『冒険王』の続編が昨年作られて、上演されたとき、ぜひ、見たいと思った。城崎まで見に行く気満々だったけど、時間の都合で見られなかっただけに、今回の公演はとてもうれしかった。しかも、『冒険王』と2本同時上演である。

 

2002年という時間における日本人と韓国人が遠い異国の地であるトルコのイスタンブールで出会い、別れていく。そんな一瞬のできごと。そこで、彼らが何を見て、何を感じたのか。そのほんの数時間が芝居の中で切り取られる。日本がトルコに負けて決勝トーナメント1回戦敗退が、決定した後、韓国はイタリアと戦い、勝ち残っていく。

 

それはサッカーのお話ではなく、日本と韓国という二つの国の未来を象徴したできごとでもある。(しかし、やがては韓国もまた、日本と同じように負けていくのだが)2016年の今、これを見ることで、この先、中国が同じようにまた、世界の敗者になっていく、という時の流れの中で、僕たちはそれでも生きていく。

 

平田オリザがソン・ギウンと共同で台本、演出をするこの作品は、ふたりの世界が混ざり合わないまま、混在して成立する。そこもまた、この作品のねらいであろう。あえて理解し調整せず、そのままにして見せようとする試みだ。それでよい。それがよい。(それもまたある種のパフォーマンスかもしれないけど)当然、2人の作家が、まるで違う方向を向いているわけではなく、2人の考える方向はかなり近い。だからこそ、遠いということをしっかり描こうとしたのだ。民族と民族がわかりあえる日を描くことではない。そこにいる私とあなたとは他人であり、どれだけ仲よくなったとしても、わかりあえるわけではない。それは同じ国の人間であってもそうだ。だから、ほかの国の人間ならなおさらだろう。そこに韓国と日本という近くて遠い国を持ってくると、さらになおさらとなる。さらには、アルメニア系アメリカ人の女性を配することにより、状況はさらに明確になる。特定の国や地域だけでなく、人と人とはわかりあえないものなのだ。だから、いろんな意味で努力する。そうすることで見えてくるものがある。

 

この芝居はそんなとても微妙で困難な問題を紡ぎ取ろうとする。この共同制作を通して、『冒険王』は新たなステージにたどりつく。2002年の狂騒を日韓から遠く離れた場所で、日本人と韓国人がいっしょに体験するというとても特異な事例を設定することで、従来の平田オリザ作品にはなかったハイテンションで激しい劇が生まれた。ただ浮かれているわけではない。そこには、そんな人たちに対して冷静な距離を置こうとする視点がある。韓国人たちはイタリアに勝利し、祝杯を上げるためどっかに行ってしまったけど、残った日本人と韓国人もいる。そして、ここを旅立ち、ここにやってくる人たちもいる。何があろうとも変わりはない。そこではいつも通りの日々が続いていく。

 


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