
来月修学旅行で東北に行く。今回の修学旅行は僕にとって初めての観光型の旅行だ。今まで、修学旅行には10回は行ってるけど、こんなふうな観光を主体にしたものは一度もなかった。融合型や、定住型なら、あるけど、全部観光なんて、なかった。そういえば、僕が高校生だった時、修学旅行は完全観光型だったから、それ以来ということになる。
しかも、今回の目的は震災学習だ。結構プランとしてポピュラーになっているのかもしれないが、今だからこそできる企画ではないか、と思い、チャレンジすることになった。これはうちの学校にとって大冒険なのだが、なんとか成功させたい。被災地に行く、という行為に対して、どういう姿勢で臨むかは学年団でも何度となく協議を重ねた。物見遊山ではないことは、分かっているけど、不謹慎ではないか、なんていう意見もないわけではない。はたしてどれだけのものが可能なのか、ということも考えた。その結果のGOサインである。もちろん、失敗はできない。というか、失敗はいつもできない。子供たちにとっては一生に一度の旅だ。最高のものを提示してあげたい。そのためには、まず、何はさておく、楽しくなくてはならない。楽しい、の意味は深い。今、ここでそういう仕事の話をすることはないけど、たまたまこの小説を読んで、いろんなことを考えさせられた。
5つのお話からなる短編連作だ。直接震災を扱うのではない。しかし、明らかだ。最初は宇都宮。つぎに福島。仙台、そして、花巻。新幹線で奥の細道へと向かう別々のお話。もちろん、登場人物も状況も異なる。完全に各エピソードには関連はない。しかし、お話が進むに従ってどんどん、東京から離れて、先に向かう。すべて列車での旅だ。そして、目的地でのドラマだ。母親の介護、両親に恋人を引き合わせる、法事、親戚の結婚、墓参り、帰郷。日常の断片としての旅が描かれる。そこがたまたま被災地に、あるいは、震災に絡んだお話になった、だけ。最後は東京に戻ってくる。新幹線の中での車内販売をしている女性の話で、それまでのエピソードにも、さりげなく彼女は登場する。
この小説の主人公たちがあの震災後、東北に行く機会が生じただけ。だから、これは東北でなくてもある。そんなささやかなお話ばかりだ。でも、彼らは東北に行く。だから、考えなくてはならないことが生じる。いずれも心に痛い話ばかりだ。だが、ちゃんと眼を逸らすことなく見つめたい。
僕たちもそんなふうに、今回の修学旅行を捉えれたならいい。気負うことはない。ちゃんと、楽しむ。そのうえでいろんなことを考えれたなら、なおいい。