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映画・演劇のレビュー

『男たちの挽歌』

2011-02-24 23:16:48 | 映画
 ジョン・ウーがわざわざ自らプロデュースを買って出る。そこまでして何がしたかったのだろうか。しかも、この話を韓国で作るという意味もまるで感じられない。『ゴースト』を日本を舞台にしてリメイクするのと同じくらいに訳のわからない企画だ。しかも、偶然だろうが、どちらもソン・スンホンが絡んでいる。

 チョウ・ユンファの演じた役をソン・スンホンが演じる。香港ノワールの原点が25年の歳月を経て今よみがえる。でも、その必然性はまるで感じられない。映画自体は、とてもよく出来ている。細部の設定はいじってあるけど、主人公3人の関係性は全く変わることはない。オリジナル・ストーリーをきちんと踏まえて、韓国映画にしっかり置き換えられてある。主人公の兄弟は北朝鮮からの脱北者、というのも如何にも、な設定だが、この作品にとってはとても自然なことだろう。

 オリジナルを初めて見たとき、なんでこんな古くさいギャング映画を今頃作るのだろうか、と首を傾げたことを覚えている。試写で見た。あの当時はジャッキー・チェンのアクション映画が主流だった香港からカンフーものではなく、派手なガン・アクションを売りにした映画が来たということだけでも、不思議だった。そんなものはアメリカ映画が散々しているから、香港映画がすることではない、と思ったし、バカにしていた。なんだか辛気くさい人情もので、別段、新鮮でもなんでもなかった。当時はなぜこんなアクション映画が香港で大ヒットしたのか、理解に苦しんだ。

 だが、この後、『男たちの挽歌2』を見て、これはちょっと思っていたこととは違うぞ、と気付く。この過激で嘘くさいドラマ作りの魅力に目覚めたのだ。これは確信犯的行為だった。あきれるくらいにエスカレートするアクションシーン。その過剰さがツボに嵌った。そして、『男たちの挽歌 最終章  狼』が登場する。これは『チャップリンの街の灯』なのである。あの話をベースにして、ジョン・ウーの美学が炸裂する。チョウ・ユンファの2丁拳銃にしびれる。あれは香港ノワールの頂点だった。その伝統はやがて『インファナル・アフェア』に受け継がれる。そして、今もジョニー・トーが守っている。

 しかし、時代はもう変わった。今、この手のアクションを見せられても、何とも思わない。しかも、この原点となる作品は、当時でさえあまり魅力的ではなかったのだ。この作品のバランス感覚は、この手のアクション映画の先駆けとしてなら評価出来るが、その次元にとどまる。

 何を今更こんな映画を作らなければならないのか。だいたい韓国映画には『友へ チング』というこの手のアクション映画の最高傑作があるのだ。あれを越える映画でなくては、時代遅れの今、この手の映画を作る意味はない。作品としては及第点の出来でも、この時代に作られる必然性が皆無なのでは、存在意義はない。ジョン・ウーの感傷につき合うほど、僕たちは暇ではないのだ。


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