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映画・演劇のレビュー

『ヤンヤン 陽陽』

2011-02-24 23:39:37 | 映画
 一昨年の台北映画祭で話題になり、その年の東京国際映画祭でも上映された青春映画。ようやく見ることが出来た。前半、高校生活を描く部分がいい。ヤンヤンが抱える鬱屈した想いが静かな描写で綴られていく。彼女は台湾人とフランス人のハーフで、その美貌ゆえみんなから距離を置かれている。あの子は特別だから、と。そんな彼女の、母親の再婚からスタートするお話自体はよくある青春映画のパターン通りの展開だ。だが、それをさりげなく淡々とした描写で見せていくのがいい。ありふれた話だが、これは彼女にとっては切実な物語なのだから。

 陸上部での練習風景がすばらしい。なんでもないどこにでもある風景だが、それがなんだかキラキラしている。ドラマチックな描写はない。母親が陸上部のコーチと再婚し、チームメイトでライバルの同級生シャオルーが異母姉となる。仲良しだったけど、友だちと姉とは違う。同じ家で暮らし、今までと同じように生活しているはずなのだが、なんだかいろんなことが、上手くいかない。陸上部のキャプテンで、シャオルーの恋人と接近する。いじわるな気分からではない。なんとなく寂しかったからだ。もともと彼のことが好きだったし。でも、そんなことをしても心の隙間は埋まらない。

 ことさら説明的な描写はない。というか、字幕なしでみたから、会話の内容はわからない。だから、ちゃんと見たことにはならないだろう。まぁ、海外で買ってきたDVDだから、仕方ないし、そんなことはいつものことなのだが。ただし、日本語字幕があってもこの印象は変わらないだろう。ヤンヤンとシャオルーの話として完結したなら、おもしろい映画になったはずだ。だが、そうはならない。

 後半、ヤンヤンが家出して、モデルとなり、さらには芸能界で活躍することになる。この展開がつまらない。そこまでの、せっかくの「ありふれた女の子のお話」だったのが、なんだか「特別な女の子のお話」になってしまって、それでは意味がなくなるからだ。ここから急に退屈な映画になる。要するに、彼女はどこにでもいる「特別」な存在なのだ。なのに、芸能界で活躍し、選ばれた存在になるのでは、それまでのドラマが意味を為さない。彼女を見いだしたカメラマンの男との恋愛ドラマもなんか陳腐でつまらない。後半で急速にこの映画の孕み持つ可能性が萎んでいくのはなんとも残念でならない。このお話は、高校生活を描く学園ものという枠組みの中から飛び出す必要はまるでなかった。



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