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映画・演劇のレビュー

『清須会議』

2013-11-20 20:53:00 | 映画
初めて三谷映画を見てつまらないと、思った。今まですべて嫌いではなかった。もちろん、今回も嫌いというわけではない。豪華キャストを見事に捌いて、さすがだ、とは思う。だが、見ていて笑えないし、ときめかない。話の先が見えていることも原因なのかもしれないが、でも、これまでのシチュエーションコメディだって、結構底は割れている。それでも、まんまとお話に乗せられて最後まで退屈させないのが今までの彼だった。だが、今回は、何度となく、退屈からあくびが出る始末だ。それってなんだ?

 歴史劇という枠組みが作品から自由を奪っている。誰もが知っている信長の跡目争い、というシチュエーションをどう三谷流アレンジが為されたか、そこが興味の焦点なのだが、歴史の事実を変えるわけにもいかないし、なんだか、ただのルーティンワーク。ありきたりのお話に終始して、驚きがない。

 しかも、主人公の柴田勝家が、役所広司が演じているにもかかわらず、まるで魅力的ではない。さらには相手役の大泉洋の羽柴秀吉が、ただただ軽いだけで、まるでつまらない男にしか見えない。これでは映画に乗れなくても仕方あるまい。もちろん、こんなふうに思うのは僕だけで、普通の観客は大喜びしているのかもしれないけど、僕はどうしようもなかった。

 しかも、話がつまらない。両陣営の頭脳合戦でドキドキさせられる、はずなのに、それもない。こんなにも、豪華なキャストがただの顔見せにしかならないというのは、どうよ。清須での会談がいかなる意味を持ち、この時間がどう歴史を動かすのか。そういう切迫したものがここには感じられないのだ。

 それは原作を読んだ時にも、思ったことだ。現代語で書かれる軽ーい小説は軽薄でしかない。でも、あれはラフスケッチのようなものだから、映画になるとそれなりの仕掛けを施すはずだ、と思っていた。だが、仕掛けどころか映画版は、小説よりもノーマルで、ありきたり。ただの普通の時代劇なのだ。まぁ、重厚さとか、そういうのとは無縁だけど。バカ殿を演じた妻夫木聡は、なかなかよくやっていたけど、そこが映画の基点になるわけではない。

 ドラマに奥行きがまるでないので、ただ笑えればいいという映画にしかならない。なのに、別に笑えない。それじゃぁ、この映画に意味がないということになる。キャストだけでなく、セットも衣装もとても豪華で贅沢な映画のはずなのに、どうしてこうなったのか。

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