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映画・演劇のレビュー

『あしたのジョー』

2011-02-16 20:39:59 | 映画
 『あしたのジョー』の完全実写映画化である。正月のヤマトに続いて、これだけリスキーな企画に挑む心意気は高く評価されていいだろう。しかも、安易なCG映画ではなく、主人公2人にきちんとボクシングをさせてその本物のファイトシーンをクライマックスに持ってくる。力石演じる伊勢谷友介の痩せ方は半端ではない。彼の鬼気迫る演技なくしてはこの企画は成立しなかっただろう。ボクサーになりきるだけでなく、極限まで自分を追いつめる。そのアプローチがこの映画に命を吹き込む。

 2時間強で1本の映画としてこの作品をまとめるためにはストーリー部分をかなりの駆け足で見せなくては不可能だ。壮大なドラマなので、それは困難を極める。しかも、ストーリーの紹介レベルになってしまってはこの作品の感動は伝わるはずもない。丈と力石の2度にわたる対決シーンをクライマックスにするのは、当然の判断だが、そこに到るプロセスをどう見せるかと考えると、それもかなり厳しい。はずせないエピソードがあまりに多すぎるからだ。しかも、それを簡単に端折ってしまうと、これはあらすじを視覚化しただけの映画になってしまう。それは不本意なことだろう。

 しかもこの作品の場合、原作をアレンジしなおして別の物語として全体を再構成するわけにもいかない。そう考えると、どう描いても成功する可能性はゼロに近い。派手な音楽で安易に盛り上げる作り方はもちろんしない。本物のボクシングを見せるのなら、役者が演じる必要はない。大体これはプロのボクサーでも無理である。主人公の2人がお互いに運命を感じ、こいつと戦えたなら、死んでもいいと心から思うこと。そして、実際に世界チャンピオンなんて棒に振っても丈と戦いたいと力石が思うこと。ここがこの映画の肝であり、そのことをちゃんとわかっているこの映画のチームは、その1点に向けてドラマを突き動かしていく。作り方は間違ってないし、その重責をひとり担った伊勢谷友介はやれる限りのことをしている。結果的に主人公であるにも関わらず受けの芝居にまわった山下智久もストイックな矢吹丈を見事に演じた。だけれども、そこまでやったのに、この映画は『あしたのジョー』の持つロマンを伝えきれない。

 今の時代にジョーは必要なのか、ということに対す答えが見えてこないからである。泪橋を逆に渡るジョーに象徴させる高度成長期に必死で這い上がって成功を掴もうとした日本人の心情は21世紀の日本人には伝わらない。更には、この映画は時代の熱気が描かれていない。そこも問題だ。ここには貧しいけれど必死に生きていたあの頃の日本人の気持ちが描かれてないからだ。これは単純なヒーローものではない。ドヤ街のみんなの願いがジョーの体に宿り、彼を突き動かしていく瞬間が描かれていない。それではダメだ。

 彼はスーパーヒーローでもなんでもない。力石と丈を対立するものとして捉えるのではなく、彼らが手に手を取って目指した物が見えてこなくては、この映画は成功しない。もちろんそれは安易な友情ものでは断じてない。ラストで丈の差し出す手を力石が握れないまま倒れていくシーンの無念を描かけなくては、この映画は虚しいものとなってしまう。俺の分までボクシングをしてくれ、なんていう口先だけの結論なんか聞きたくもない。



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