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映画・演劇のレビュー

『ぼくが処刑される未来』

2012-12-04 22:40:56 | 映画
 小中和哉の『四月怪談』はとてもチープなSF映画だけども、本当に素敵な映画だった。まだデビューから時間の経っていない頃の、若かりし日の小中監督の野心作であり、代表作でもある。あれから何十年が経ったことだろうか。彼は今もこうして同じようにチープなSF映画を撮っている。その事実が嬉しくて、この誰も見にも行かないような映画を見る。そのためにわざわざ劇場へと行く。これは東映の「スーパーヒーローNEXT」とかいう企画ものの第2作らしい。仮面ライダーの卒業生である若手俳優を主人公に起用して、彼らを売る出すための映画を作るというのが、目的らしい。なんだか、なぁ、というお粗末な企画だ。そういうことはもちろん僕にはまるで興味がない話だ。ただ、小中和哉が、久々に自分のフィールドに戻って来たような企画と出会った気がして、なんだかワクワクした。それが見る理由だ。

 これは久々に彼らしい企画、のはずだった。この手のSF映画は十八番だ。しかも、この低予算は枷ではない。そのほうがフットワークも軽くていいからだ。自由に冒険が出来るし、それを逆手にして好きなことをすればいいからだ。お金のなさは不自由にはならない、と信じた。

 だが、しばらく見ていて、この映画はまるで自由じゃないし、全く気持ちが入ってない。これはなんだか、与えられたノルマを無難にこなしているだけの、何一つ輝きのない映画だったのだ。ショックだ。まるで未来には見えないビジュアルとか、安っぽいセットに辟易したのではない。そんなことは最初からわかっていた話だ。なぜこんな映画を小中和哉は撮ったのか。

 まるで、ドキドキしない。お話がつまらない。派手なアクションとか、贅を尽くしたSFXとか、そんなものは問題にしていない。そうではなく、主人公たちが追いつめられ、そこでどう居直り、どうこの世界と向き合い、与えられた現実とどう戦い、自由を勝ち取ろうとしたのか。それだけが見たかったのだ。なのに、その一番大事な部分にまるで熱気が感じられなかった。台本も安直でまるで乗れない。大体ここには映画として一番大切なものがまるでない。

 『ウルトラマン』とかをやっている間に小中監督はただの安易な便利職人になってしまったのか。映画を撮れるという僥倖を真摯に受け止めるなら、こんな安直な映画は生まれない。持てる力の限りを尽くす姿勢がここからは感じられない。そのことが一番ショックだった。もしかしたら、という不安が見事的中した。なんだかとても残念だ。


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