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映画・演劇のレビュー

『アリラン』

2013-12-02 21:54:00 | 映画
 キム・ギドク渾身の一作だ。先に最新作であり彼の復活を証明した劇映画『嘆きのピエタ』を見ているから、この作品の衝撃が薄まるか、というと、さにあらず。そんなのはまるで関係ない。

 これは『悲夢』から3年の沈黙を破って放つドキュメント・ドラマだ。セルフ・ドキュメント。自作自演。すべてを自分一人で作った個人映画で、再び映画を作るために第一歩となった作品だ。なぜ、自分が映画を撮れなくなったのかを赤裸々に告白する。キム・ギドクがキム・ギドクと向き合い、対話する。告発する。糾弾する。自分を罵り、涙を流し、孤独を噛みしめる。

 ぼろぼろと涙を流しながら、映画への熱い想いを語るシーンは圧巻だ。自分には映画しかないから、なのに、映画を撮ることが怖い。『悲夢』撮影現場での事故未遂。死につながる可能性もあった。そのショックが原因で、立ち直れない。

 ずっと映画を作ってきた。これまで15本の作品を作った。1本撮ると、すぐに、次の台本を手掛け、完成後、すぐに次回作の撮影に入る。何の疑いもなく、映画とともに生きてきた彼から映画を取り上げることは出来ない。自分が自分であるためには映画を撮らなくてはならないという悲痛な叫びが聞こえてくる。こんな真摯な映画はない。純粋な魂の叫び声だ。痛ましい。

 これはドキュメンタリー映画なんかではない。客観的な事実の記録ではなく、映画でしか語れないキム・ギドク自身の恥ずかしいような赤裸々な告白だ。この映画そのものは、キム・ギドクが再生するための戦いを綴ったひとりよがりの作品でしかない。でも、この作品が伝えるものは尊い。こんな映画を撮れる純粋さを信じる。




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