
本阿弥拾得が作、演出を担当し、世捨の拾得が主演する(わかると思うけど、2人は同一人物です!)一人芝居、だと思い、見に行ったのだが、あっと驚く2人芝居だった。チラシには「世捨の拾得+思い野未帆」とクレジットされていたが、どうせ未帆さんは軽くサポートにまわる程度なのだろうと高を括っていたのに、なんと最初から最後までがっつり四つに組む完璧な2人芝居なのだ。
彼ら2人によるW主演のタグマッチ、1時間1本勝負。しかも、コミカルな芝居だと思っていたのに、これがかなりシリアスで、ラストでは衝撃的な展開を迎えることとなる。先週の『永遠の金曜日』に続いて、今回のNGRアトリエ公演スペシャルはとても手強い。今までのアトリエ公演は実験的な試みの中編ばかりだったが、今回は総力戦である。NGRのそれぞれのメンバーが自分たちの持ち味を生かして、全力でぶつけてくる。NGRの魅力のひとつである「詰めの甘さ」が(そんなの魅力じゃない、かもしれないが)影を潜めて、全く余談を許さない展開で我々観客を小さいけれども深い闇の中に導いてくれる。前作『永遠の金曜日』が4人のキャストによる会話劇(常に1対1となるような構造だが)というスタイルを見せつつも、主役の中谷仁美さんのひとり芝居を思わせる作品に仕上がっていたのに対して、今回は2人の男女によるバトルである。
こたつが置かれただけの部屋。そこから出ることなく、そこに凝縮される家族のドラマが綴られていく。夫と妻。そして子供。彼ら3人、ないしは4人が、2人によって演じられていく。しかし、ラストで、ここには2人の子供たちしかいない(そして、それすらもはたして2人なのか、本当はひとりなのかもわからない)という事実が示された時のショックは大きい。夫婦。父と子。母と子。この3つの短い2人芝居の後を受けて、2人の子供たちが、こたつの一カ所に体を寄せ合い怯えながら交わす会話。兄と妹は誰もいない家で、外部から遮断され不在の父と母の帰りを待つ。
冒頭部分は北村想の『寿歌』を思わせる。買い物用のカートを押していく男と、おなかに双子の子供を宿した女が世界の果てタクラマカンの彼方を旅していく。このイメージシーンでサンドイッチされた閉ざされた部屋のこたつを囲んだ会話劇は、その見事な対比を通して、僕たちがいったいどこにむかって生きていくのか、そんなことすら考えさせてくれる。思い野未帆さんがこんな風に全編出ずっぱりで主演する芝居を見たのは初めてだ。彼女の魅力をしっかり生かし(歌うシーンもちゃんと用意されてある!)作品全体をドライブした捨得さんのすばらしい仕事ぶりに拍手を惜しまない。
彼ら2人によるW主演のタグマッチ、1時間1本勝負。しかも、コミカルな芝居だと思っていたのに、これがかなりシリアスで、ラストでは衝撃的な展開を迎えることとなる。先週の『永遠の金曜日』に続いて、今回のNGRアトリエ公演スペシャルはとても手強い。今までのアトリエ公演は実験的な試みの中編ばかりだったが、今回は総力戦である。NGRのそれぞれのメンバーが自分たちの持ち味を生かして、全力でぶつけてくる。NGRの魅力のひとつである「詰めの甘さ」が(そんなの魅力じゃない、かもしれないが)影を潜めて、全く余談を許さない展開で我々観客を小さいけれども深い闇の中に導いてくれる。前作『永遠の金曜日』が4人のキャストによる会話劇(常に1対1となるような構造だが)というスタイルを見せつつも、主役の中谷仁美さんのひとり芝居を思わせる作品に仕上がっていたのに対して、今回は2人の男女によるバトルである。
こたつが置かれただけの部屋。そこから出ることなく、そこに凝縮される家族のドラマが綴られていく。夫と妻。そして子供。彼ら3人、ないしは4人が、2人によって演じられていく。しかし、ラストで、ここには2人の子供たちしかいない(そして、それすらもはたして2人なのか、本当はひとりなのかもわからない)という事実が示された時のショックは大きい。夫婦。父と子。母と子。この3つの短い2人芝居の後を受けて、2人の子供たちが、こたつの一カ所に体を寄せ合い怯えながら交わす会話。兄と妹は誰もいない家で、外部から遮断され不在の父と母の帰りを待つ。
冒頭部分は北村想の『寿歌』を思わせる。買い物用のカートを押していく男と、おなかに双子の子供を宿した女が世界の果てタクラマカンの彼方を旅していく。このイメージシーンでサンドイッチされた閉ざされた部屋のこたつを囲んだ会話劇は、その見事な対比を通して、僕たちがいったいどこにむかって生きていくのか、そんなことすら考えさせてくれる。思い野未帆さんがこんな風に全編出ずっぱりで主演する芝居を見たのは初めてだ。彼女の魅力をしっかり生かし(歌うシーンもちゃんと用意されてある!)作品全体をドライブした捨得さんのすばらしい仕事ぶりに拍手を惜しまない。