とても作りが緩い。こんなんでいいのか、と思うほどに。でも、石井裕也監督は「それでいい、」と言う。いや「それがいい」とも言う。(たぶん)
韓国にやってきた父親と息子が、言葉もわからないまま、兄のところに向かう冒頭シーンからドキドキさせられる。大丈夫か、君ら、と。やがて登場するオダギリ・ジョーの演じる兄貴のいいかげんさ。自由さ。それに振り回される弟(池松壮亮)とその8歳の息子(彼の無表情と無言が凄い)、彼ら日本人3人と韓国人兄妹3人によるロードムービー。彼ら計6人がなんだかよくわからないけど、一緒に旅をする。
兄妹の両親の墓参りにくっついていくって、ありえないけど、そのあり得ないことが描かれるだけの映画なのだ。彼らの親戚のところにわけのわからない日本人である3人も泊めてもらって、一夜を過ごす。必然性はなく、場渡り的でラストでは、日本に帰らないでなんと家にまでついて行って、一緒にまたご飯を食べている。これから先のことなんてもちろん何もわからないけど、今日はみんなで食べている。それだけでなんか幸せ。
終盤の天使の登場は『私をくいとめて』と同じような驚きが用意されているけど、だからどうした、とも思う。『茜色に焼かれる』の不条理(あの尾野真千子の母親には納得できない)とは違うけど、これもまた、なんだか不条理(あのオダギリ・ジョーの兄貴はいいかげんすぎる)なお話。でもこちらはノーテンキな不条理だ。うまくいかない毎日のなか、そこからどう抜け出すかを模索する。日本人も韓国人も関係ないし、同じ。
これは一見たわいもない映画に見せかけて、ここに描かれる人と人との絆は実はとても大切なものではないか、と気づかされる、そんな映画だ。悪化する日韓関係を背景にして、そんなものに振り回されず、自分たちは自分たちの付き合いをしようじゃないか、というノーテンキさが眩しい。