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映画・演劇のレビュー

『アデル、ブルーは熱い色』

2015-03-11 20:03:36 | 映画
『クスクス粒の秘密』の監督作。今回も長い。監督の名前が、ではない。上映時間が、である。なんと3時間もある。(監督の名前は、アブデラライス・ケシシュ。長い。難しい。覚えられない)

しかも、話はない。アデルのエマへの熱い想いを、ただ延々と綴っただけ。高2の頃、出会い、好きになり、同棲して別れるまで。

ずっと好き。その気持ちは出会ったとき(街角で偶然すれ違っただけ)から、別れた今も変わらない。寂しいから男とも何度か、セックスしたけど、それが決定的な別れへと繋がるなんて思いもしなかった。知っていたなら、そんなことはしなかったはず。嫌いになったからではなく、好き過ぎるから、そうなっただけ。だが、浮気がばれてエマは断固拒否する。それはアデルがほかの男(女ではなく)に心を許したから、ではなく、エマの気持ちの問題だった。

レズビアンであることをカミングアウトしきれないアデルに対するもどかしさのほうが大きかった。アデルは拒否されて、改めてエマの存在の大きさに気づくが、もう取り返せない。

人間の心の機微を決定的になる瞬間の反応を通して見せる。3時間はそれを描くための長さだ。なんでもなく見える描写の積み重ねを背景にする。『クスクス』の時もそうだった。ストーリー自体は単純だ。それどころか、ストーリーらしいストーリーなんかないのに、(1行で、ストーリーは説明できる)長い。

この3時間近い上映時間はお話を見せるためのものではない。このなんでもないような日常の積み重ねから見えてくるのは、自分の心に忠実に生きることの難しさだ。彼女の想いにたどりつけるように、僕たちはこの映画をひたすら見守るしかない。こういう映画の作り方もある。

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