デパートの大食堂の思い出は、同じようにデパートの屋上遊園地の記憶と連動している。幼い日の大切な思い出である。先に大阪に出てきていた父親と再会したのは、難波の高島屋の屋上だった。まだ3歳か、4歳くらいのことで、はっきりとは憶えていない。昭和30年代の後半のことだ。写真が残っていて、それを見たらぼんやりと確かにそういうことがあったような気になる。ようやく父の仕事が軌道に乗り、徳島から呼び出された母親と僕。和歌山経由で船で大阪に出てきた。(あの頃は四国に渡るのはいつも南海で和歌山に行き、船で小松島まで、そこから阿南市の実家へと行くのがパターンだった。大阪に出てきてから、毎年夏には田舎に行っていた。小学校の高学年の頃まで、だっただろうけど。)家族3人で大阪に出てきて大正区の小さなアパートで暮らした。やがて、弟も生まれ、生活が安定した。休みの日、家族でデパートに行くのが楽しみだった。阪急の大食堂には何度となく行った。お子様ランチがうれしかった。食べて後は屋上遊園地。梅田の阪急、阪神、もちろん難波なら高島屋!
数年前、東京で暮らす孫の七五三で、川越に行った時、デパート(というか、百貨店)の屋上遊園地に行く機会があった。小さな観覧車もある。そこには子供たちと行ったのではなく、川越八幡宮での待ち合わせ時間の前、初めての川越散策の途中に妻とふたりで行った。小江戸と呼ばれるこの町もそうだが、そこはなんだかとてもなつかしい百貨店だった。あの観覧車や屋上遊園地も今ではもうなくなってしまったらしい。世の中はどんどん変化して昔のなごりを失う。この小説で描かれる大食堂はきっとあの川越の百貨店がモデルなのだろう。
坂井希久子らしい読みやすくて優しい小説だった。古臭いものを失くして新しいものに作り替える。仕方のないことだろう。だけど、古いものだからよくない、わけではない。この小説はそんなあたりまえのことをさりげなく描く。オムライスやプリン、エビフライにナポリタン。最後はお子様ランチだ。5つのメニューをリニューアルするお話を通して、もう一度、あの頃のあの味と、新しく出会う。ここに集うことになったスタッフが、なんとかしてこの寂れていくばかりで取り壊されそうになった大食堂を再生さえようとする。やがては消え去ることはわかっているけど、今少し、今だから、ここを残したい、という願いが描かれる。心温まる長編小説だ。