習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

カラ/フル『NUDE』

2010-12-24 21:16:04 | 演劇
わかりやすい芝居だ。ひとりよがりで観念的な芝居とは対極を成す。だからといって単純ではなく、人間の意識の底にある複雑なものを、しっかり掬い上げていこうとしている。病んだ傷つきやすい心の中に潜む魔と向き合いエンタテインメントとして、組み立ててある。芝居は3話からなるオムニバスというスタイルを踏む。それぞれの短編は連作になっていて、独立しつつも、通して1本の長編作品として完結する。

 主人公は最初のエピソードに出てきた3人が、リレー形式に受け持っていく。第1話はある男(白木原一仁)を主人公にして、彼がゴミ捨て場で出会った女を拾ってくるという話。2話はその女(楠瀬アキ)が主人公になり、3話は伊達と言う名の男の友人(泥谷将)が主人公となる。なぜ伊達だけが名を与えられてあるのかは最後で解かるようになっている。

 人間をゴミと一緒に棄ててしまう、というとんでもない話には驚かされる。摑みとしてのインパクトは強い。男は彼女を自分に家に連れて帰り、住まわせてしまう。そこから生じる様々なことが2人の心理的葛藤を通して描かれている。すぐに当たり前の恋愛劇のような展開になるのだが、この異常から普通に転じる中で、さらにもうひとつ思いもかけない展開が生じて、そこでスコンと終わる。なかなか上手いオチである。第2話は棄てられていた女のエピソード。彼女を巡る物語だ。彼女がどんな風に生きていたのかを、彼女を取り囲む世界のあり方を通して描く。

 3話は精神病院に収監された男の話。彼は、1話の最後で女に金属バットで頭を何度も殴られた伊達である。3人の主人公の中で彼だけに名前が付けられてある。彼がなぜ精神病棟にいるのか、とか、彼にだけ名前があるのはなぜか、とか、その全てがラストのオチにつながる。第1話ではただの脇役でしかなかった彼が実はこの作品全体の主人公であったことが明確になるラストの展開は、お決まりでしかないのだが、なかなかスマートな終わらせ方だ。まぁ、ある種の予定調和なのだが、悪くはない。彼の脳内宇宙の出来事として全体がきちんと閉じられる。

 作、演出を担当したオダ・タクミ(この集団は彼の個人プロデュースだ)の生真面目さが幾分アダになっているが、とても見やすい芝居であることは、確かだし、観客の満足度も高いはずだ。だが、出来ることならもう少し先の読めない展開に出来たならよかったのに、と惜しまれる。見終えた後に何ともいいようのない薄気味の悪さや後味の悪さが心に張り付いてくるような芝居であって欲しかった。なのに、芝居は、あっさりすっきりしていて、しかも、ちゃんと理に落ちて、その結果、思ったよりも心に響かない。

 主人公である伊達の役はオダくん本人が演じたなら、それだけで、とても不気味な芝居になったのではないか。(それは泥谷さんが悪いということではない。それどころか彼はよくやっている!)まぁ、それは演出に専念するためには不可能なことで、仕方ないことだとは思うのだが。


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