
キルギスタンの映画なんて、初めて見る。そりゃ当然の話なのだ。これが日本初登場のキルギス映画なのだから。国家的プロジェクトとして製作された超大作映画である。キルギス人の誇り、クルマンジャンを描く大河ドラマなのだ。
この手の映画は今ではあまり作られることはない。若い国が自分たちの誇りをかけて挑む。なんだか、ドキドキするではないか。映画が映画であることの意味すら感じさせる。そうなのだ。映画は本来「特別なもの」なのだ。
なのに、日本では今はそうじゃない。日本では映画とTVの垣根はなくなった。TVシリーズは簡単に映画になり消費されていく。TVでおなじみのお話を映画館にも見に行く、というノリだ。なんだかつまらん。
中央アジア高地民族を束ねた偉大な女王クルマンジャンの生涯を描く。それはキルギス誕生のドラマでもある。でも、あくまでもこれはまず、ひとりの女の子のお話なのだ。部族で決められた相手との結婚を強いられる。それが女の幸せだと言われる。だが、彼女は逃げ出してくる。意に沿わない結婚なんか、いやだ。自分の意志で生きる、とばかりに。
これはまだ女性は受身の生き方しかできなかった時代(どんな世界でも最初はそうだった)のお話だ。19世紀初頭。山岳地帯で生まれ育った少女が、大きな世界に出会い、成長していく姿を描いた超大作スペクタクル巨編。
2時間16分に及ぶ壮大な叙事詩。シネスコ画面を縦横に生かした昔ながらの映画。遠い日の『アラビアのロレンス』を初めて見た時のような感動がそこにはある。