ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

そして、カレル橋へ ‐ ドナウの旅(14)

2015年07月06日 | チェコ/ハンガリー

 9世紀に編まれたストラホフ福音書など18万冊の蔵書を誇る、“ ストラホフ修道院図書館 ” から、長い坂道ネルドヴァ通りをヴォルタヴァ川に向かって下るとマラー・ストラナ広場、その一角に、“ 聖ミクラーシュ教会 ” があった。

 *カタリナの独り言 〔写真帳・アルバムのメモ書きから〕 
 モーツアルトが演奏したという天使が飾られたオルガンといい、説教壇といい、その黄金色に食傷を越えて辟易 () 

 *序にペトロも独り言
 右岸の旧市街広場の同名の教会と見かけはとも角 内なる様は成金趣味、金綺羅金のごてごて、信仰心が黄金で測られているようで唖然、憮然 (

     
  マラー・ストラナ広場の聖ミクラーシュ教会(左)、プラハの街は民主化10年を経て何所もかしこも工事中
  外観とは裏腹に、内陣のデコラティブな設え(中/右)に、またもやびっくり仰天したふたりでした

 モステッカー通りから “ マラー・ストラナ橋塔 ” をくぐり “ カレル橋 ” を渡り、“ 旧市街橋塔 ” を抜け地下鉄でホテルに戻った。

 *カタリナの独り言 
 プラハは赤茶の屋根が中世の町を感じさせるきれいな風景、静かな気持ちになる、そんな町だった (

     
  マラー・ストラナ橋塔(左)、煤払いをすれば綺麗になるのでしょうか、それとも地黒なの?
  午後になって雲間から薄日が、誘われたようにカレル橋(中)には多くの観光客が訪れていました
 ♪ たゆたうヴォルタヴァ川の流れを背に(右)何を想うのでしょうかね?

 1968年、共産党第一書記ドプチェクのもとに起った民主化運動 “ プラハの春 ”、僅か8月でワルシャワ条約機構軍の名を借りた旧ソ連の戦車にチェコ全土が蹂躙される悲劇が。
 91年、ソ連邦大統領ゴルバチョフの辞任によって真の独立を果たした旧東欧諸国、それから10年の時を経て活気あふれるプラハの街を訪ねる旅だった。

    
  欧州随一、中世の面影を色濃く漂わすプラハの街、旧市街広場、ティーン教会、旧市庁舎の時計塔です

 翌日の午前半日、そのプラハの春ならぬプラハの秋を楽しみ、列車でウィーンへ戻る。 ( 
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.999

 ※ 前号、ドナウの旅(13)へは、<コチラ>から入れます。


コメント (1)    この記事についてブログを書く
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1 コメント

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ご無沙汰してます (旅人)
2015-07-06 17:33:29
途切れ途切れだったけれど、25年ほども前のプラハの街も、途中のヴァッハウ渓谷への道草も、楽しませて貰いました。
次はブタペストだよね、それともまた寄り道するのかな?
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