ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

ふたまた ‐ 散歩道

2009年12月27日 | 散歩道/山歩き

 散歩していると、町なかに “ ふたつに分かれる道 ” が、結構あることに気付く。

 三角形や台形の少し歪な敷地に、上手く工夫したなあと思う家もあれば、住みにくいだろうなあと思う家もあって、勝手なことを言いやがってと、住む方からお叱りを受けるかも知れないが、どちらもいいなあと思う。

 0_3ふたつに分かれるといえば、人間生きていれば、「どっちを選べばええんや?俺!という場面に直面すること一度や二度ではなく、「まあまあ、ご大層なこと」と揶揄されようとも、斯くも人間は悩み多き生き物なのかと思う。

 警句などとしてもしばしば用いられるのが、シェークスピアの戯曲ハムレットの、「To be, or not to be, that is the question
 この有名な件(くだり)、“ 生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ ” などと名訳されている。

 そんな深淵なものから、わが最愛の友R君が両親と離れて泊まる時に、「お泊りしたいなあ。でも、夕方になったら母ちゃんに会いたくて涙がでるんだよ」と、幼いなりにどうしようかと日曜の夕方、大好きなちびまる子ちゃんもそぞろに溜息をついているものまで実に奥が深い。

 2_2選ばなかったほうの道の先を見ることができないが故に、選んだ方の道が間違いだったと、臍を噛む場合が往々にしてある。

 徒然草の吉田兼好、今日は日が悪いと嘆く人を、“ 吉凶は人によりて日に非ず ” と揶揄した。
 差し詰め人間の運、不運は、“ ふたつに分かれた道の選び方によって決まるものではない ” ということなのだろう。

 道すがら、もし三叉路に差しかかれば、“ ふたまた ” をかける訳に行かないのだから、大仰に考えずさっさと右か左を決めてしまえばいいのだ。
 ふたまたなんて、生き方として潔しとしないご同輩、途中でしまった思えば元へ引き返せば済む話で、そんなに悩むことでもないではないか。

 えっ、それができないから悩ましいのだって! さもありなん。(二枚の写真、同じ場所です。)

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