いわゆる宇治七園、森、祝、宇文字、河下、奥山、朝日、琵琶は、御用茶園になった以上は栂尾を凌ぐ茶を作るのが命題だった。
宇治が天下一の茶の産地と言われるようになったのは、茶を扱う人が経験的に霜を防ぐと美味しい茶が出来ることを知っていたこと、その霜を防ぐために覆う莚を作る条件が揃っていたことに拠るとされている。
宇治の近く巨椋(おぐら)池があって莚に使う葦が豊富に生えていた。
加えて宇治川で京都と繋がり肥料が豊富、将軍家からの資本も潤沢で覆下栽培に大々的に取り組める環境にあった。
ポルトガルの宣教師ロドリゲスは、「宇治では茶畑の上に棚を作り葦の筵で囲い、2月頃から新芽の出る3月末まで霜の害を防いでいる」と記している。
よい抹茶の三条件は “ 色と香と味 ”、これを揃えるのは大変難しいと想像できる。
覆下で被覆効果をした茶葉を透かしてみると、青み、黒み、白み、赤みが見えると言い、この色合いが、挽き上げると抹茶の色に微妙に影響するのだそうだ。
赤土で育ったものは赤みが、粘土質のものは香気があるとされ、宇治川の低地、砂地の茶園のものは、色、艶はよいが味は淡白でコクに劣るとも。
茶は茶壷に入れて口切(11月くらい)まで密封し保管するのだが、赤土や粘土質の茶は保存状態がいいが砂地の物はいまひとつとも言う。
ということは、ひとつの茶園で三つの条件が揃った茶を作ることは至難の業。
そこで茶業者は、いろいろな場所で取れた茶葉をブレンドすることになる。このブレンドのことを “ 合(ごう)” すると呼ぶ。
茶葉を “ 合組(ごうぐみ)”する歴史は古く、茶業者が秘伝として技術を伝えて現代に至っているのだそうで、今風に言えば差し詰め企業秘密?
当時は、茶壷を茶師に預け新茶を詰めて貰ったのだそうだが、注文する方は試飲し詰める茶を選び出したという。
将軍家が買い求める茶は、京都所司代などの立会いのもと古田織部、小堀遠州など御茶吟味役が試飲し決めていたらしい。
見本の茶には識別する記号や名称が付けられていたそうだが、花、竹、梅、など結構適当に付けたと思われる茶名も見られるというから面白い。()
Peter & Catherine’s Travel Tour No.445
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