ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

次代への問い ‐ 5月がきた

2011年05月02日 | 季節/暦

 朝日の連載、ノーベル賞作家大江健三郎さんの「定義集」から。
 4月20日のテーマは、“ 現地の外からも耳を欹(そばだ)てて ‐ 人間らしさ万歳の共感 ”。

 その中で氏は、今回の原発事故について水爆実験で被爆した大石又七氏の、
 “ 福島原発からの放射能の脅威が、日本人にとってアメリカの核抑止への絶対的な信頼 (それと原発の安全性への確信とつながっていないでしょうか?)を打ち壊すなら、広島・長崎の死者たちを裏切るまいとした、戦後すぐの日本人の信条の回復をもたらすことはあり得る。その期待を持ちます。”
 を引用、これからの議論が展開されることを期待すると言う。

 Photo_3その考え方の正否は別として、氏は音楽家で障害を持つ長男と病院の待合室で、

〈 私らは、ひたすら楽譜を読み、あるいはノートのコピーを読
〈 むのに集中できました。
〈 そこには、満員でもあるにもかかわらず、ただならぬといい
〈 たい静けさがあったからです。 
〈 誰もが見ていたはずのテレビ広告、みんなでがんばろう日
〈 本!の呼びかけとは別の、もっと個人の深みに根ざしている、しかもこの国 ・ この国びとの「喪」の感情、そ
〈 れに重なっている色濃い不安、そしてよく自制している静けさ。
 ‐ 中略 ‐                                                                         〈 私はあの憂わしく沈黙した待合コーナーの人たちを思うたび、フクシマを生き延びた日本人が、現在の54基
〈 に14基以上の原発を加えようとする勢力に、市民規模の抵抗を起こす日を考えます。
と、結ぶ。

 21 氏に拠らずとも、資源を持たないこの国のエネルギー、原発に依拠せざるを得ないとすれば、その恩恵を享受する側が負うべきものは?                                   交付金という名のばら撒きと、それに依存する自治体?
 産油国任せの化石燃料で賄うのか、それとも、自然エネルギーに転換できるのか?

 危ないかも? と薄々感じながらも国・電力会社の安全神話を信じる振りをして、野放図にも使い放題に使ってきた。
 いっそ身の丈にあわせ、昔の暮らしへ戻るという方法もある。
 とりわけ、原発に50%の電力を依存する関西、人ひとりにその答案が求められている。

 今週の朝日歌壇 ほんとうは不安に蓋してきたのかも東海村の四季をめでつつ 城県・原里江さん/高野公彦氏・佐佐木幸綱氏選)

 「サクラ」から「ライラック」、そして、「サツキ」へと代わる皐月・5月。
 爽やかな青空の下、原発難民にされてしまった方の心の憂さ、束の間でも晴れればと思う。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.320

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