朝日の連載、ノーベル賞作家大江健三郎さんの「定義集」から。
4月20日のテーマは、“ 現地の外からも耳を欹(そばだ)てて ‐ 人間らしさ万歳の共感 ”。
その中で氏は、今回の原発事故について水爆実験で被爆した大石又七氏の、
“ 福島原発からの放射能の脅威が、日本人にとってアメリカの核抑止への絶対的な信頼 (それと原発の安全性への確信とつながっていないでしょうか?)を打ち壊すなら、広島・長崎の死者たちを裏切るまいとした、戦後すぐの日本人の信条の回復をもたらすことはあり得る。その期待を持ちます。”
を引用、これからの議論が展開されることを期待すると言う。
その考え方の正否は別として、氏は音楽家で障害を持つ長男と病院の待合室で、
〈 私らは、ひたすら楽譜を読み、あるいはノートのコピーを読
〈 むのに集中できました。
〈 そこには、満員でもあるにもかかわらず、ただならぬといい
〈 たい静けさがあったからです。
〈 誰もが見ていたはずのテレビ広告、みんなでがんばろう日
〈 本!の呼びかけとは別の、もっと個人の深みに根ざしている、しかもこの国 ・ この国びとの「喪」の感情、そ
〈 れに重なっている色濃い不安、そしてよく自制している静けさ。
‐ 中略 ‐ 〈 私はあの憂わしく沈黙した待合コーナーの人たちを思うたび、フクシマを生き延びた日本人が、現在の54基
〈 に14基以上の原発を加えようとする勢力に、市民規模の抵抗を起こす日を考えます。
と、結ぶ。
氏に拠らずとも、資源を持たないこの国のエネルギー、原発に依拠せざるを得ないとすれば、その恩恵を享受する側が負うべきものは? 交付金という名のばら撒きと、それに依存する自治体?
産油国任せの化石燃料で賄うのか、それとも、自然エネルギーに転換できるのか?
危ないかも? と薄々感じながらも国・電力会社の安全神話を信じる振りをして、野放図にも使い放題に使ってきた。
いっそ身の丈にあわせ、昔の暮らしへ戻るという方法もある。
とりわけ、原発に50%の電力を依存する関西、人ひとりにその答案が求められている。
今週の朝日歌壇 ほんとうは不安に蓋してきたのかも東海村の四季をめでつつ (茨城県・原里江さん/高野公彦氏・佐佐木幸綱氏選)
「サクラ」から「ライラック」、そして、「サツキ」へと代わる皐月・5月。
爽やかな青空の下、原発難民にされてしまった方の心の憂さ、束の間でも晴れればと思う。
Peter & Catherine’s Travel Tour No.320
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