ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
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それは、想い出という名の心の糧 

シーレ ‐ ベルヴェデーレの奇才(2)

2015年07月20日 |  ∟オーストリアの美術館

 ベルヴェデーレ上宮、まず、目に入ったのが、オーストリアを代表する表現主義エゴン・シーレ(1890-1918)だった。

 1907年、アカデミズムを拒否し、新芸術運動の中心的な存在となっていたクリムト(1862-1918/オーストリア/象徴主義・ウィーン分離派)と知り合い、その強い影響を受けたとされている。
 その後、一般に言われる表現主義とは一線を画した作風を確立したともされる彼、その代表作とも言える作品が何点か展示されていた。

    

 まず、ふたりの目にとまったのは、「死と乙女」(上/左)と「二人の女性」(上/中)。
 退廃と官能を描いた画家シーレ、「死と乙女」を描いた三年後、ずっと、師事してきたクリムトと同じようにスペイン風邪によって28歳の若さで人生を閉じたという。

 ただ、同じモティーフの「抱擁 ‐ 恋人たち」(上/右)、「家族 ‐ うずくまる人物群像」(下/左)もそうだが、絵から受ける印象が、官能的ながらも、「少しも嫌らしくないのね」と感想を述べていたが、全く同感だった。

 そんな作品群の中で、「座っているシーレの妻」(下/中)や「母と二人の子供」(下/右)は、それらと趣を異にするが、対象の捉えまえ方、表現に独創性が感じられ面白い。

    

 実はこれまで<ゴーギャン>(1848-1903/フランス/後期印象派・象徴主義)や<ルドン>(1840-1916/フランス/象徴主義)などの画家を除いて、象徴主義とそれ以降の20世紀芸術なるものを余り好きになれなかった。

 が、今回、それがまさに食わず嫌いであったことを思い知らされたように思う。
 掌を返す訳ではないが、「シーレ、好きやなあ」と感想を口にすると、「直接見ると、画家のどうしようもない悩みが、この絵を描かせたということが分かる」と、彼の非凡なる才能に深く感心している様子。

   

 一見、アマチュア?ともとれる、「家の壁」(上/左)だが、そう、実に、「巧(うま)いの」である。
 葉叢に隠れて咲く「ひまわり」(上/右)にいたっては、「奇才の名をほしいまま」と言っても過ぎないと思った。

 かつて、<パウル・クレー>(1879‐1940/スイス/表現主義)で、「目から鱗を落とした」ことがあったが、食わず嫌いを愧じたのは言うまでもない。
 青春期の心理的不安を、象徴的、かつ、独創的に描いた夭折の奇才シーレ、是非、拡大してご覧下さい。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1005


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