昨夜は、旧暦8月15日 “ 中秋の名月 ”。
カタリナ お茶のお仲間と裏千家今日庵を訪ねての帰り、中天の月を眺め、「仕合せ」とご帰還あそばした。
“ 月に叢雲 花に風 ” とも言うが、昨夜未明の雷鳴まじりの雨に、連日の酷暑もようやくその鳴りを静めるようだ。
小ブログにも度々顔を出す二十四節気、“ 十二の節気と十二の中気が交互に配されている ” と暦本にある。
特に、重要な中気である “ 夏至・冬至 ” と “ 春分・秋分 ”、重要な節気である “ 立春・立夏・立秋・立冬 ”、この “ 二至二分四立 ” を “ 八節 ”として節目としたらしい。
暑さ寒さも彼岸まで、と言う。
立春や立秋などの四立が、季節の移ろう気配を心が感じる頃であるなら、春分と秋分の二分は、厳しい季節の和らぎを体感する頃だ。
今日は、その “ 秋分の日 ” である。
彼岸の中日ともされるこの日、古くから彼岸会と呼ばれ、この日を中心に先祖を供養しお墓参りを行う慣習があるが、他の仏教国には無いこの国独特の行事らしい。
時の流れは早いもので、丁度、半年前になる。
<春よこい‐散歩道>で、“ 春分の日は、遊び仲間と近くの山に登り日の出を迎えた。行事というより子供の遊びといった類のもので、お日さん迎えと呼んでいた ” と書いた。
暦本に、“ 彼岸会の彼岸は、日願(ひがん)から来ているとも言え、太陽や祖霊信仰は原始宗教の頃からつきものなのだ ” ともあり、このたわい無い遊びも、草深い田舎の太陽信仰のひとつだったと改めて知った。
この日、春の彼岸と区別するため、“ 秋彼岸 ” とも呼ばれる。
彼岸の供え物、ぼたもちとおはぎ、春の牡丹と秋の萩に由来すると言う。
甘いものは苦手だが、おはぎは優しい母の味がして好きだ。
そういえば、散歩道に、「萩」が小さな花をつけ始めた。
愈々秋本番、運動会の喚声が窓に届く頃でもある。
今週の朝日俳壇 萩白し風の中より切って来し (高槻市・会田仁子さん/稲畑汀子)