ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

えっ、120歳まで?

2010年09月26日 | 宗幸雑記

 成人病予防の検査や健康診断をきちんと受けたことがない。
 経年劣化じゃないが、この年になればどこかに不具合があるのが自然。殊更、悪いところを教えて貰うこともないじゃない、と思っていた。

 しかし、今年の夏はことの他応えた。
 それで、何時もお世話になっている先生から勧められ、節を曲げ検査を受けた。

Photo_4  後日、「レントゲンや心電図、血圧も、糖尿病や肝臓の数値も問題なし。言うことなしよ!とお墨付きを頂いたが、その際、思わず「120歳まで」と言ってしまった。

 ひと、ホモ・サピエンスは、病気は勿論、ストレスもなく息災に過ごせば、120歳まで生きる動物らしいこと、何かの本で読んだことがある。
 それで、思わず口から出てしまったのだが、先生からは、「うん、大丈夫!と、冗談にしろ太鼓判を押して貰った。

 健康なのは喜ばしい限りなのだが、少し釈然としないところもある。
 湯上りに、「臭いよ~」と鼻をつままれながら膝や腰にハップ剤を塗り、効き目が早いと聞いてはドリンク剤でビタミンなどを補給するものの、その日の疲れがその日の内にリセットできないことが多くなった。
 正直なもので、身体のパーツは年齢相応に傷み、折に触れて軋み悲鳴を上げる。

Photo_3  元気にボランティアに走り回っている友のメール、「心の学びはあるのだけれど体力が続かず、来年はどう関ろうかと考えている。まだ答えが出ない」を前に、「そうなんだよなあ」と独り言つ。

 若い頃には、肉体も精神も字にかけるようにはっきりしたものだったが今は違う。

 自分の身体と相談しながら、甘やかしもせずさりとて無理もせず、前を向いて歩んでいかないといけないのだが、困ったことになかなか気持ちが納得しないのである。

 その後に診察を受けたペトロ、この話を先生から聞いたらしく、「120歳!周りが迷惑でなければ結構なことで」と、彼にしては至極全うに答えた後、「俺の生き血を吸っているからなあ」と呟いたらしく、「奥様はドラキュラ、それともモスキート?と、診察室が大笑いになったという。

 写真の彼岸花と紫式部、ようやく開き始めたが、例年よりかなり遅いようだ。(

コメント
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