この小さな島国、焙烙(ほうろく)で煎られた豆のように、熱気で跳ね回らされたようだった。
それでも自然とは凄いもの、時期が来ればちゃんと季節は移ろう。
小さな子供やお年寄りを虐め苛んだあの酷暑、秋分の日を境に掌を返したように涼しくなった。
25日の天気図、台風12号の北に前線がある。
秋雨前線というのだろう、例年、9月の上旬から10月中旬にかけて、日本列島付近に出現するらしいが、朝寝坊でもしたのか、今年は随分と遅れてきた。
この前線、北から出現し次第に南下してやがて消滅するそうだが、南岸沿いに停滞すると秋の長雨をもたらし、そこに台風が加わると大雨を降らせるという。
秋に降る雨、きれいな名前がついている。
幾日にもわたって降り続く長雨が秋霖で、しとしとと降るのが秋雨、その入りを秋入梅とも。
秋時雨は、季節の終わり頃に降る時雨のことだそうだ。
ところで、長い間、“ 男心は春の空 ”、“ 女心は秋の空 ” と比喩する、と勝手に思い込んでいた。
正しくは、変わり易い秋の空模様を、同じように如何にも軽い男心とかけて、“ 男心と秋の空 ” が正しいと慣用句辞典なるものにある。
9月も終わりになって、TVドラマのような検事が現れた。
証拠を改ざんしたことを認めたのだが、彼に調べられたらしい小沢さんの三人の秘書が、早速便乗、まるで秋の空のように、「冤罪や!」と主張し始めた。
逮捕されて以来、「やっていないものはやっていない」と、毅然と信念を貫いた女性キャリアばかりが目立ったこの月。
この如何にも軽きやつばら、彼女の爪の垢、それこそ焙烙で煎じて飲めば?
ところでカタリナ 秋の空の気まぐれに、「昨日と変わってくれればいいのに」と言いつつも嬉しそうに、雨もものかわ<八分の楽しみ>で書いた茶事へと出かけた。
そんなこんなで、中国漁船の船長の釈放事件など、ことのほか重かった長月・9月がゆく。
写真下、雨に濡れながも、ようやく咲きそろった「彼岸花」。