ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

秋彼岸 ‐ 散歩道

2010年09月23日 | 季節/暦

 昨夜は、旧暦8月15日 “ 中秋の名月 ”。

 カタリナ お茶のお仲間と裏千家今日庵を訪ねての帰り、中天の月を眺め、「仕合せ」とご帰還あそばした。
  月に叢雲 花に風 ” とも言うが、昨夜未明の雷鳴まじりの雨に、連日の酷暑もようやくその鳴りを静めるようだ。

 Photo_2小ブログにも度々顔を出す二十四節気、“ 十二の節気と十二の中気が交互に配されている ” と暦本にある。
 特に、重要な中気である “ 夏至・冬至 ” と “ 春分・秋分 ”、重要な節気である “ 立春・立夏・立秋・立冬 ”、この “ 二至二分四立 ” を “ 八節 ”として節目としたらしい。

 暑さ寒さも彼岸まで、と言う。
 
立春や立秋などの四立が、季節の移ろう気配を心が感じる頃であるなら、春分と秋分の二分は、厳しい季節の和らぎを体感する頃だ。

 今日は、その “ 秋分の日 ” である。
 彼岸の中日ともされるこの日、古くから彼岸会と呼ばれ、この日を中心に先祖を供養しお墓参りを行う慣習があるが、他の仏教国には無いこの国独特の行事らしい。

 時の流れは早いもので、丁度、半年前になる。
 Photo春よこい‐散歩道>で、“ 春分の日は、遊び仲間と近くの山に登り日の出を迎えた。行事というより子供の遊びといった類のもので、お日さん迎えと呼んでいた ” と書いた。

 暦本に、“ 彼岸会の彼岸は、日願(ひがん)から来ているとも言え、太陽や祖霊信仰は原始宗教の頃からつきものなのだ ” ともあり、このたわい無い遊びも、草深い田舎の太陽信仰のひとつだったと改めて知った。

 この日、春の彼岸と区別するため、“ 秋彼岸 ” とも呼ばれる。
 
彼岸の供え物、ぼたもちとおはぎ、春の牡丹と秋の萩に由来すると言う。
 甘いものは苦手だが、おはぎは優しい母の味がして好きだ。

 そういえば、散歩道に、「萩」が小さな花をつけ始めた。
 愈々秋本番、運動会の喚声が窓に届く頃でもある。

 今週の朝日俳壇  萩白し風の中より切って来し (高槻市・会田仁子さん/稲畑汀子)

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