ウィーナーシュニッツェル、ハンガリーでグヤーシュという。
赤パプリカをたっぷりと入れたグラーシュと並んでドイツ辺りから東の地域の料理として知られている。
ベルリン絵画館のカフェテラス(写真上)など、旅行中にも何度か口にした。
うんちくを語れば、行進曲で有名なラデッキー将軍がミラノからウィーンに持ち帰ったとか。
そのミラノ風カツレツもトラットリアの定番料理だ。
調理や調味料などに違いがあるのかも知れないが、日本でいうビーフカツレツ、つまり、ビフカツである。
話は変わるが、競輪場などに使われた後、長い間無残な姿を曝していたオリックスの前身阪急ブレーブスのホームグランド西宮球場。
何年か前から更地になっていたが、昨秋、ショッピングセンタ(写真中)に生まれ変わり、食事ゾーンを中心に連日客を集めているようだ。
その食堂街に昔ながらの洋食屋さんがあって、陳列棚にオムレツやクリームコロッケなどと並んでそのビフカツ(写真下)があった。
デミグラスソースがかかった肉は柔らかく、添えられたポテトもドレッシングされた野菜も美味しかった。
後に、三八豪雪と名付けられた昭和38年の冬。
前年のクリスマスを境に断続的に降る雪は、明けて1月から2月にかけ日本海側を中心に大雪をもたらした。
3月といってもその影響が残る春浅き頃、母とだったと思う、初めての大阪。
帰りの列車を待つ間、人でごった返す大阪駅の和洋中何でもありの食堂で、生まれて初めて口にしたのがビフカツだった。
その頃の駅舎は三階建、東海道線は電化されていたが北陸や山陰本線の汽車は煙を吐いていたし、阪急や阪神百貨店前には路面電車が行き交っていた。
今思えば肉は固く油っぽくて胸焼けしそうな代物だったが、そのハイカラな食べ物に、こんな美味いものがと、感動した。
ビフカツを食べるたびに、その記憶がよぎる。
逝って20年、母の思い出は何時も優しく気持ちを素直にさせる。
ひと昔やふた昔どころでない、セピア色に褪せた遠い日の話である。