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ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

相思相愛、じゃないと似ないの?

2017年11月23日 | 日記

 決して僻んでいる訳じゃない、が、昨日(11/22)はヘンテコな日で、新聞やTVが “ いい夫婦の日 ” だと騒いでいた。
 ただの語呂合わせに、目くじらを立てるほどのこともないと思わないじゃないが、天邪鬼の酔狂、つい首を傾げる。

 百歩譲って “ 夫婦の日 ” だとか、“ 夫婦仲良くする日 ” だとかいうのならまだしも、何故、“ 好い ” か “ 良い ” か知らないが、わざわざ形容詞を付けなきゃいけないの。

 一体、いい夫婦とはどんな夫婦なんだ? とまあ八つ当たり。

 ところで、この日の天声人語氏、“ 長く連れ添った夫婦は顔が似てくると言われる。俗説だと思っていたら、どうやら科学的な根拠があるらしい。鍵は、無意識のうちに相手の表情をまねる「ミラーリング」という行為である ” とあった。

 へ~っ、そうなのと、阿呆なんだか暇なんだか、あいつ の写真を持って鏡の前に立ってみた。
 うん?ちっとも似てねえよ、と首を捻っていたら、「そんなの相思相愛じゃなきゃ、似ないんじゃないの」と声が。
 それじゃ、オレの片想い・・・と、思ったところで昼寝から覚めた。

 ところで人語氏、“ 二人でたくさん苦しみ、たくさんなじり、たくさん慰め、たくさん笑う。眉間のしわも目尻のしわも、いずれ二人の履歴書になる ” と締めていた。

 なるほどご尤も、“ いい夫婦 ” さんには、似た顔を見つめ合ってどうぞお仕合せに!と思うものの、僻みっぽい誰かは「勝手にしやがれ!」と嘯いている。
 せめて、“ あなたを愛しています ” が花言葉の 「真紅の薔薇」でも添えて誰かさんを慰めるとしますか。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1441

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三日坊主だよなあ、やっぱし・・・

2017年11月20日 | 日記

 以前、「<石の上に何年?>」ってタイトルで詰らないことを書いた憶えがあって検索したらあった。

 そこで、数字はそれぞれ本来の意味を持っているが、ここでは慣用語として使われる数字のこと。
 例えば「三」、度々耳目にするのが、「三度目の正直」 「佛の顔も三度まで」 「三日坊主」 「三日天下」など、並べてみると、余り好い喩えに使われてないような気がしないでもない、と書いている。

 そのひとつ 「三日坊主」、まあ、自慢にもならないが、飽きっぽい酔狂、洒落にもならないが言い飽きるほど経験してきた。

 こんなことを書いたのは他でもない。
 小編、毎日上げるのに飽きると言うか、正しくは窮して。しんどくなってサボってみたら、これが結構、解放感があって快適。

 それに、愛読する某ブログに、捻くれたコメントを投稿したら見事に捻り返され、“ 完敗、大人しくします ” と再投稿したら、“ 大人しくしなくてもいいですよ。どうせ三日も続かないでしょうから ” と来てがっくり。

 そんなこともあって、「ふん、ぐれてやる」と休んでみた、ものの何だか手持無沙汰になって、ぼちぼちと再開をと思ったら、「ほら、やっぱし三日でしょ!」と聞こえたような・・・気がしないでもなく、

  なにしてもどうせ三日とみすかされ さむさ身にしむ秋の夕暮 (酔狂) てな心境。

 で、寒い記事に潤いをと「ピンクのシクラメン」を添えたら花言葉、小っ恥ずかしくも “ はにかみ ” だって。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1439

  

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季節の移ろいのなかで

2017年11月13日 | 日記

 気取ったタイトルを付けたが、さて、書こうとして手が止まる。

 先週の金曜(11/10)のレジオマリエの集会、終わりになって、「桜の木の葉が落ちて、月一回の掃除では手に負えなくなってきている。集会後、掃除をするので時間があれば参加を」と会長が言う。
 心なしかペトロ の顔を見ている様な気がしたは深読みか?

 ところでわが西洋長屋、大きな桜の木三本と十本ほどの欅があって、今、落葉盛んだ。
 管理のおじさんふたりが毎朝掃いてくれているが、大変なのは雨の日の翌日、タイルに張り付いて難渋している様子。

 銀杏でも紅葉でも落葉は風情があって好いものだが、それも公園など場所によってのこと、住宅地ともなれば、側溝や排水孔を塞ぎ暢気なことも言ってられない。

 話しが変わるが、彼女 が残した 「シンビジューム」みっつと 「春蘭」ひとつ、育て方も知らず枯らさないように水だけは与えている。
 時期は忘れたが毎年土を変え、根をほぐすなどしていたが酔狂には到底無理、でも、毎春になれば律儀に綺麗な花を届けてくれる。

 そんな花たちだが、この時季になると何十本と葉を落とす。
 最初は、「えっ、枯らしちゃった?」と少し狼狽えたたが、今じゃ、あゝそんな時期なんだと、「春になれば綺麗な花を頼むよ」と話しかけながら残った枯葉を丁寧に取り除いてやっている。

 この秋ってやつ、無粋な酔狂さえも感傷的にさせて聊か始末が悪い。教会の掃除? えゝ参加しましたとも。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1436

 ※ 倍賞千恵子さん 「里の秋」 (詞:斎藤信夫/曲:海沼実)

   

 

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売れもせんのに、まだ並べる?

2017年11月11日 | 日記

 会社勤めで一度だけ、営業部長という氏も育ちも異なる椅子に座らされ、売れずに閉口したことがある。
 そういう訳だから、自身が物を売る、いわゆる商いなるものに携わった経験が殆どない。

 こんなことを書いたのは他でもない、差し詰め小編、その商い、いやいや僅かの元手で細々と行う小商いと言った方が正しい。みたくなものじゃないかと、またまた詰まんないことを考えた。

 小っ恥ずかしい駄文をリンゴ箱の上に並べて 「買わなきゃ損だよ」と寅さんをやってるようなもの。
 で、売れ行きが芳しかろう筈もなく、その日の糊口を凌げれば御の字、それすら危うい日もある。

 それはとも角、こりゃいいじゃないかと思った “ 自信作 ” の受けが良くなかったり、まあこれでいいかと表現はなんだが “ 埋め草 ” みたくがそこそこ捌けたりする。

 美術館で買ったガイドブック、美術展のカタログ、美術書などをひっくり返し、聊か的外れの感想を交えながら書いたその自信作、面白くない訳がないと店の一等場所に並べたら散々、溜息が出る。

 例えれば、気の合う仲間が居酒屋で盛り上がるのは、可愛い女性の噂話か上司の悪口が相場、安倍だのなんだのを持ち出すようなものってのは、百も承知してんだけどねえ。

 てなことで、親からはちゃんと十本の指を貰いながら、何が不満か二本を酷使、今日もせっせと売れもせんのにキーボードを叩いている、トホホ・・・。
 「赤いガーベラ」には “ いつも前へ進め ” とか “ 戦いに挑め ” と言った花言葉があるって知ってました?
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1434

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どうしたもんじゃろのう?

2017年11月08日 | 日記

 優柔不断なのは理解(わかって)いるが、今回もどうにも<決められない>でいる。

 今度は何が決められないのかって? D社の携帯電話、スマホという代物である。
 博物館に納まっても可笑しくないほどの旧型、宗幸さん が使っていたものだが捨てるに捨てられず、歳も考えずガラケーに替えてず~っと使ってきた。

 当世風の何をやってんだか寸暇があれば画面を眺める癖もなし、電話もメールも禄すっぽ使うことなく、インターネットも、ましてやアプリを落とし込んでのなんちゃらも、流行りのSNSとやらも無縁、何のためにタブレットを含めて月々1万円をば寄付、じゃなかった払ってんだか。

 契約を変更するにも、例えは聊か不謹慎だが、大昔に春を鬻(ひさ)いだ女性みたく年季の縛り。
 公序に反するんじゃないかと思うこのルール、お上(最高裁)が認めるという大愚があって 「お代官様、おらなにを悪ことしたと言うんだ!」と歯がみをした人も多かろうと拝察。

 で、待ちに待った年季が到来したのだが、スマホそのものを止めるべきか、格安スマホなるものにすべきかが決められないでいる。

 ブログやメールのためにgooをスタート画面にしているが、gooスマホやOCNモバイルのCMに気持ちが動く、もののSIMカードがうんとかなんとか、悉皆、雲を掴むようなこと。

 既往症を抱えた独居老人には携帯電話は必需品、保険代と思えば安いものと思いつつも、「使わないものになんで」といまいましさもある。

 で、決められない酔狂、今日もハムレットみたく To be or not to be  どうしたもんじゃろのう? と悩むのである、「相も変わらずお馬鹿さんね!」の声は聞こえぬ振りをして。

 携帯電話の走りの頃でしょうか、山野しげさんと山田まつ子さん母娘、笑ってしまいます。
 困った時のいしい頼み、91年に朝日紙連載の四コマ漫画 「となりの山田くん」(いしいひさいち全集1巻/徳間書店刊)から拝借しました。 
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1431

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こんにちは。

2017年11月05日 | 日記

 今日(11/5)は年間第31主日、つまり安息日です。
 この日わが教会は、“ 10時のミサで 『すべての死者のため』 のお祈りを捧げ、その後、共同墓参を行う ” ことになっていました。

 たまさか明日は彼女 の祥月でもあり、朝9時半ごろに教会に行こうと、靴を履けばいいところだったのですが、急に腸(おなか)が痛みだしたので止めました。
 朝から水仕事を続けた所為だと思いますが、イレウスを用心しました。

 で、素晴らしいお天気ですが家に籠り、読書登録させて頂いた皆さんの “ 読者ブログ新着記事 ” をゆっくり拝見し過ごしています。

 そんなことで小編、今日は安息日でお休み、来週から元気に投稿したいと思います。

 あっ、そうそう、ソファに横になり新聞を丹念に読んでいたら少し舟を漕いだようで痛みは治まりました。
 ではでは、皆さんは、連休の最終日をどうぞお楽しみ下さい。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1428

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文化の日と天ざる

2017年11月04日 | 日記

 昨日(11/3)は文化の日、空が高く澄みこれぞ日本の秋、外国の秋を深く知るでもないが。と思った。

 同時にこの日は、“ 17世紀、聖女マルガリータにキリストが現れ、9月間続けて月初の金曜にミサに与り聖体を拝領すれば、罪の中に死ぬことはない ” と約束されたことにちなむ初金(はつきん)のミサだった。

 この日の主朗読は、イエスが<安息日>に、“ ユダヤ教の律法学者など長老たちの前で水腫を患っている人を治す ” (ルカ書第14章1-6)場面。

 病人を治したイエスは、“ 自分の息子が井戸に落ちたら、安息日だからといってすぐに引き上げてやらない者がいるだろうか ” と律法学者らを諭す。
 神父様は説教で、“ わが子に注ぐ愛の思いと実践は、他の人々にも為されなければならない ” と話す。

 ステンドグラスが輝くお御堂を出ると、汗ばむほどの陽射し。
 何時ものコース、ぶらぶらと桜紅葉の夙川堤を下り、阪神香櫨園駅から西宮駅まで出て、書店を覗き蕎麦屋さんへ。

 この日、ちょっと大袈裟だが 「天ぷらを食べるんや!」との思いがあって、天ざると日本酒を注文した。
 が、目の前に置かれるとあの矢も楯も堪らずの思いも失せ 「なんで天ぷら?」と独り言、周りの人に気味悪がられたような、揚げたてのそれは頗る美味かったけれど・・・。

  天ぷらに躍るこころや秋たかく (酔狂)

 それはとも角、程よい気持ちで帰宅すると、茶のお仲間のお一人から四年忌のお供えが宅配便で届いた。
 何時までも変わらず注いで下さる思いに感謝し、カタリナ に報告、こうしてわが文化の日を過ごした。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1427

 ※ 森山良子さん 讚美歌 291番 「主に任せよ」

     

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本日は安息日、です。

2017年10月29日 | 日記

 今日(10/29)は、カトリック暦の年間第30主日(日曜礼拝)、つまり安息日。

 いきなり話しは飛ぶが、ふた昔ほども前のイタリアでのこと、夕陽がローマの西の空に茜色の雲を刷いて沈みかける頃、テヴェレ川西畔のホテルにチェックイン。

 旅装を解いて、さて、夕飯とメトロのオッタヴィアーノ駅辺りまでブラブラ歩いたものの街は真っ暗、「なんでや?」と首を捻ってたら 「今日、日曜じゃなかった?」と彼女 、で、すごすごとホテルへ戻った。

 ホテルで彼女、「パニーニがあるわよ」と笑いながら言う。
 出国便でこれでもかと食事を当てがわれ、食べなきゃ損みたくに食ったもんでちっとも腹減ってないところへ、フランクフルトからローマへの乗継便で出たのがそのパニーニ。

 何時もなら座席に置いたまま降機するのだが、虫が知らせたのかナプキンに包んで鞄へ入れておいたとか。

 固いパンに菜っ葉とチーズを挟んだ代物、機内では持て余し気味だが、その夜はミニバーのビール片手に滅法美味かった。

 たまさか金曜日の<エルサレム>の嘆きの壁(写真)の前でメモを取り 「仕事をするな!」と注意をされたり、行く先の釦押すのも仕事とエレベーターを止めたりするユダヤ教の<シャバット・安息日>ほどのことはないけれど、この安息日、「もうちょっと何とかならんのかいな」と思わなくもない。

 最近は、観光客相手に営業する店も多く、しばらく外つ国の安息日にそんな目に遭ったこともないが。
 回りくどくなったが、本日、安息日ゆえ小編も閉店、えっ、手抜きだって? そりゃ誤解ちゅうもンでっせ!
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1421

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今は考えられないわ・・・

2017年10月26日 | 日記

 高齢化時代になって、先々のことをいろいろ考えることが多くなった。
 例えば、独居老人に限らないが、ゴミ屋敷が時々TVニュースなどで報じられることがあって、そこまでなる前に「なんとかならんのかいな?」なんて思いながら視ていることが多い。

 が、偉そうなことが言えなくなってきた。
 以前<小編>に、鰥夫(やもめ)の暮し振り、“ 結構、小ぎれいに ” と書いたが、それも最近しんどい。
 原因は、体力の低下に加えて気力が萎えることが大きいが、同居者不在ゆえの緊張感の欠落もある。

 それに似た話、最近、燃え尽き症候群みたく毎日投稿を続けているが今にも蝋燭が消えそう、何のため誰のため投稿してるんや、と自問していたらgoo事務局から一年前の記事が届いた。 

 
続・また最近、ブログ考
 小編、ペット愛好家には失礼かも。 今もあるのか知らないが、かなり以前、ペットシンドロームなる現象がある、と雑誌とかで読んだことがある。 主旨は、飼い主とペットの立場が逆転、い......
 

 メールを開いてみれば、今と同じ心境をうじうじと綴ってい、ちっとも変わらない阿呆がそこに居て、それこそ「なんとかならんのかいな?」と呆れる。

 そんなことを考えながら小編を書いていたら、NHKラジオから “ 長い間放置された挙句、所有者不明や相続権者が多数になり手が付けられなくなった家屋、土地の面積は九州と同等になって、政府の有識者会議で対策を検討 ” というニュースが。
 年配の方はご存知だろうが、バブル期のあの狂騒は一体何だったのかと思う。

 それはとも角、ゴミ屋敷にならんために大掃除をと思ったものの、台風と台風の合間の晴れ間、「今は考えられないわ、頭がおかしくなりそう。明日考えましょう」(風と共に去りぬ)、家に籠ってないで外出しょうっと・・・。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1418

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木犀の咲く頃に

2017年10月19日 | 日記

  木犀の匂ふひと日を妻とあり (紅園)

 昨日(10/18)は、レジオマリエ恒例の日帰りの遠足、早い話が近間の教会への巡礼だが、長時間のバスに自信がないので不参加にさせて貰った。

 心配されたのが天気、晴れ男らしい主任神父が同行されるとあって、傘マークばかり張り付いたここ十日ばかりのお天気のカレンダーのなかで、奇跡的に?この日だけお天道様が顔を覗かせた。
 皆さん車中でさぞかし自慢話を聞かされたのではと聊か同情も、と言えば神父様に叱られるか?

 そう言えばカタリナ も<晴れ女>を自認して憚らなかった。

 ところでその日、気分転換も兼ねて散髪に行った。
 切って貰うほども残っちゃいないが、少し短めに刈り上げて貰って、さっぱりとした気分での帰り途、どこからともなく甘い匂いがあって、自転車を止めてきょろきょろしたら金木犀が満開だった。

 話しはあちこちへと飛ぶが何年か前の秋、初めての<アメリカ旅行>の前日だった。

 二人の旅は飛行機の値段が安い平日出発が殆ど、常は前日まで稽古があるのだがその時はたまさか休みになった。
 そんなことで早々にパッキングを済ませ午後になって二人で散歩に出た。

 その日も木犀の香りが漂ってき、出発前のひと時、好い旅になる兆しみたくなものを感じたことがあった。

 そのアメリカ旅行、インディアン・サマーと言うのだそうだが、真夏を思わせるような青空に聊か辟易、「晴れ女さん、少し秋の風情も欲しいねえ」なんて贅沢なことを言ったら、翌々日だったかDCからアムトラックでNYへ向かう日、土砂降りの雨に遭って誰かさんに 「・・・」しこたま睨まれたことがあった。

 木犀の甘い香りとともに、そんな在りし秋の日の小さなことを思い出した一日だった・・・。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1411 

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