百薬の長とも、万病のもととも言う酒。
呑兵衛さん、“ 酒なくてなんの己が桜かな “ と、都合のいいことを言って呑むようだ。
斯くいう酔狂、“ 大酒呑み ” が辞書にあるのだから “ 小酒呑み ” もあって然るべきと馬鹿なことを考える。
実を言えば酔狂、その小酒呑みで、かつまた、実に減り張りのない意地汚い酒呑みなのである。
馬鹿序に、意地綺麗な酒呑みとは?
つらつら思うに、まず無用には呑まず、呑む時には悠揚迫らず泰然、微笑み乍ら黙して語らず、さらに加えて注がれても注がず、のようなタイプなんだろうなア・・・と。
それって、酔狂の逆様を並べただけだって?
まあまあ抑えて、素面(しらふ)で阿呆なことを書いているが、ことの序に、「飲む」より「呑む」の方がしっくりくるような。
酒となれば、度々ご登場して貰った万葉人の大伴旅人さん。
余程お好きと見えてお酒を讃むる歌を13首も詠んでいることは以前、<万葉秀歌>で書いた。
で、今回は、聊か身につまされるこの歌。
黙居(もだを)りて 賢(さか)しらするは 酒飲みて
酔(ゑ)ひ泣きするに なほ及(し)かずけり(3-350)
旅人さん、“ 黙りこくって分別臭く恰好をつけているよりも、お酒を飲んで酔い泣きをする方がずっといいじゃないか ” と言う。
齢六十を過ぎ、太宰帥となって赴任することになった旅人さん、藤原氏が勢力を伸ばすにつれ名家である大伴家は段々と没落していく。
そんな中、天離(あまさか)る鄙(ひな)へ赴く身を嘆く。
不幸は重なるもので、赴って暫く、愛する妻を失って大きな悲しみを受ける。
没落せんとする家、老いる身、愛妻を失った悲しみ・・・、鄙びた地でどうしようもない遣り切れなさが、彼をしてこんな酒の歌を詠ましめさせたのかも。
歌に戻って、旅人さんの詠む “ 酔(ゑ)ひ泣き ” 、泣き上戸じゃなく多感という意だと識者は読む。
が、酔狂、聊かくさいが、酔うほどに悲しさ辛さを思い出し、しみじみ涙するのもいいじゃないかと酒呑みの自己弁護。
誰に話すかうだうだと、今宵も僅かな酒に酔うのであります。
ところで明日(2/14)は、セント・バレンタインデーとか。
3世紀のローマ、皇帝の迫害により殉教したと伝えられる聖ウァレンティヌスを祝ったのが起源らしい。
それが日本に渡って、女性から男性に愛を告白してもいいよ、という変梃りんな日になったらしいのだが、その当時ならいざ知らず、この女性強きご時世に、それ、ちょっと可笑しくない?
土曜の今年、女性は義理チョコから幾分解放されるようだが、付き合わされるお父さんもホッと一息だろう。
で、今日は愛を込めて花を! 貴女にはどの「薔薇」もきっと似合う・・・、えっ、酔狂がそんなことしてもちっとも似合ないって? そうなんだよねえ。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.933