goo blog サービス終了のお知らせ 

パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

せつない

2019年08月14日 | Weblog
8月14日(水)晴れのち雨

ワタクシは、すぐに「せつなく」なる。
ということを先日夫に言われて気づいた。
テレビで高校野球の思い出のシーンが流れる番組をチラっと見てたら、甲子園の申し子清原が出てた。
思わず「せつない・・・」
同様にハンカチ王子にも抱く思いである。
ついでに言うなら堂林君にも。
彼らから言わせれば「あんたにせつなく思われるほど惨めな生活してないし!
映らないだけで俺なりに頑張ってるから!」
ごもっとも。

ワタクシは、せつなくなるのがイヤなのだ、本当は。
そして、自分のその感情が動くシーンにとても敏感なので、なるべく避ける。
映画で、動物や子供のものを見ないようにしているのはそのせいだ。
戦争ものや闘病ものを見ないのは「悲しく」なるからだ。
「死」と直結しているものは怖くて悲しいから。
せつなくなるのと悲しくなるのは違う。
「悲しい」のは、ただただ「悲しい」けど、「せつない」の感情の中には色々な気持ちが入り乱れる。
野球選手の彼らに対する「せつない」は、若い頃にあまりに活躍して、そこからの驕りだったり、不運だったりに対する同情や叱咤や激励やらの気持ち。
動物もののテレビや映画もあまり見ないのだが、たまに見てしまったツィッターの動画やらに抱く「せつない」の気持ちには、少し笑える気持ちも入っていたり、すごく前向きな気持ちすらあったりする、ホントわけのわからない感情なのだ。

そんなワタクシが今「せつない」と思うもの。
それは双子。
いそうでいないけど、いるとこにはいる双子。
三つ子はさすがに少ないけど、双子は結構な頻度でいて、なんかしらんが羨ましい。
本人達も、親御さんも。
兄弟姉妹とは違う、もっと神秘的なものも感じる。
昨日見たテレビに、末期がんで余命一ヶ月を宣告されたお嬢さんと、その双子の妹。
友達と会うために二人で日本を旅行しているという。
まだ29歳。
黄疸も出てたり、痩せてたりはするけど、そっくりな姉妹をみると、せつない。
そんな姉妹を旅に送り出す強いご両親。
「夢を見た。ぜーーんぶこれが夢だったという夢で、あ〜夢だったと思ったのに、目が覚めたらこっちが現実だった」と泣く。
せつない。
でも、この気持ちはただの同情だけではなく、彼女の「生きてるのは苦しいけど楽しいからまだ死にたくないの」という強い言葉に、尊敬とか頑張れ!の祈りとか、いろいろな気持ちがこもった「せつない」なのだ。

そこから「双子」ということを色々考え始めて・・・
今、癌の闘病中である友人A夫人は、双子のママである。
一人は某有名大学の学生R君。もう一人は中二の時からずっと引きこもっているL君。
腫れ物を触るみたいな感じだ。
結構親にも社会にも世間にも辛辣な感じのR君だが、昼夜逆転の生活をしているL君のために買い込んである食べ物のチェックをしては「をっ!これはもう今日までの賞味期限だからオレが食べるよ!」
R君が一番嫌いな人種が「カウンセラー」
L君のことでいろいろな施設や病院や学校等を巡っていた母をずっと見ていたからかなあとせつなくなった。

一卵性じゃないから忘れがちだが、うちの夫の弟達も双子。
今、女子二人を連れて父子帰省している義弟Bと、独身の義弟A。
スマホも持たず、パソコンも持たず、浮いた話もなく、田んぼに囲まれた田舎で一人、猫と暮らす義弟A。
おっとりした妻とマイペースな長男と、キャピキャピ小学女子2名と賑やかに暮らす義弟B。
ついつい比べては義弟Aに対して「せつない」感情を抱いてしまう。
YちゃんHちゃん、Aおぢちゃんに優しくしてあげてね。
タピオカって美味しいんだよ、とか教えてあげてね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする