涙の会見に、胸打たれました。。。
引退会見で号泣 古田監督悔しさにじむ(スポーツニッポン) - goo ニュース
引退会見で号泣 古田監督悔しさにじむ
ヤクルト・古田敦也監督(42)が19日、
東京・東新橋のヤクルト本社で堀澄也オーナー(72)に
今季限りでの現役引退と監督辞任を申し入れ、了承された。
ユニホーム姿で臨んだ記者会見では号泣。
兼任監督としての葛藤(かっとう)の中、
低迷の責任を取ってユニホームを脱ぐことに悔しさをにじませた。
なお、後任はOBを中心に人選を進めており、西武投手コーチの荒木大輔氏(43)が
最有力となっている。
涙が止まらない。
18年の現役への思いか、それとも監督辞任の悔しさなのか。
中日戦の試合前に東京・元赤坂の明治記念館で行われた引退&退任会見。
ユニホーム姿で臨んだ古田監督は、あふれ出る涙をぬぐった。
「すみません」「あかんなあ」。
さまざまな思いが胸に去来する。
「ファンには感謝の気持ちでいっぱいです」。
そう言うとまた涙があふれた。
球団からは再三、専任監督として来季の続投要請を受けた。
だが、それを固辞。
チームの低迷の責任を一身に背負って決断した。
「プロの監督には大きな責任がある。
監督が結果を問われるのは当たり前のこと」。
兼任監督就任の時、3年契約の球団提示を断って2年契約。
その2年で結果を出すつもりだったが、
昨年は借金3の3位で、今季は23年ぶりの最下位の危機に
ひんしている。決意は揺るがなかった。
しかし、口には出さなくても無念の思いが募るのは確かだ。
就任時に全面バックアップを約束されながら、
補強面でも自ら中心となったファン獲得のための
「Fプロジェクト」でも大きな協力は得られなかった。
そんな中で、兼任監督の葛藤が不世出の名捕手の選手生命も縮めた。
後継者の育成と自身の出場。
「後継者づくりも役目で“自分が”という気持ちがそがれた」と話し、
兼任監督について「僕は40歳代でなったが、できるなら30歳代で
バリバリの人の方がいい」と続けた。
涙の理由を問われた古田監督は言った。
「寂しさというよりも悔しさの方かな」。
選手18年、監督2年の思いがその言葉に凝縮されていた。
・・・・・・
「権限」には「責任」がついてまわります。
一見、上にあがるほど、幸せになれる、楽になれると感じるかも
しれませんが、実際は「楽は下にあり」といわれる通りだと思います。
でも下は下の苦労や悩みがまたある。。。
難しいものです。
以下、古田選手について
ウィキペディアより
強肩と捕球から送球までの早い動作により盗塁阻止率リーグ1位が9回、1993年と2000年には阻止率6割以上という驚異的な数字を残している。ちなみにこの捕球から送球までの動作は、古田の新人時代に、自身名捕手であった野村監督が一見するや歩み寄ってきて「お前、もういっぺんやってみい」と言った後、動作を確認し、「ほお、お前、そうやるんか。なるほどな。勉強になったわ」と言わしめたほど洗練されたものである。
また、守りのみならず、打撃にも優れ、2004年までに通算8回の打率3割は、日本の捕手史上最多である。野村曰く、このような打撃における成長の原因は「捕手としての自分のアドバイスを打撃に利用している」からだとか。
2000本安打達成時、GET SPORTSにて「打者古田敦也」が特集された。新人の頃落合博満の打撃を捕手側からみて、落合の打撃を参考にし、自分の打撃に取り入れたことを明かしている。また独自の打撃理論を持ち「2ストライク」になると三振があるため打率がグッと下がることから(事実多くの野球選手は2ストライク時の打率は下がる)、初球の重要性を挙げている。初球を打つことを投手に印象付けることで、自然とボールから入ることが多くなり、ボールを先行させることで打ちやすい球が自然と呼び込めるようになるというもの。この理論からか古田は2000本安打達成者の中では四球が極端に少ないため、大卒、社会人を経た選手で史上初の2000本安打を達成できたと分析されている。
権限のある上の立場に付くことができる…。
そう考えると、ちゃんと責任を全うしようと
務めた結果とも受け取れますよね。
立派なものです。
どこぞの省庁の方々なんかには、
爪の垢でも煎じて飲んで欲しいものです(苦笑)。