今年(平成21年)のセンター試験をパラパラと見てたら、
「おっっ!」
なんと倫理の問題にキルケゴールの実存への3段階に
関する問題が出ているではないか!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/08/5b89567cf9c2dd58c2975769bbda1533.jpg)
ウィキペディアより
ちょっと嬉しくなってブログに書いてみることにしました。
以下、その箇所です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/usagi.gif)
・・・・・・・・・・・・・・・・
第4問 次の文章を読み、下の問いに答えよ。
(前略)
西洋近代哲学において理性は、世界を光の王国につくりかえる自由の
原理と考えられていたのである。
しかし、ガス灯や電灯で闇を追い払った近代文明が様々な問題を
抱えていたように、理性による光の王国も多くの問題を孕んでいた。
キルケゴールは、
(d)倫理的であろうとすると絶望せざるを得ない人間の現実
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
を直視した。
そこからみれば、理性を通じた自由の実現という構想は、人間の現実を
無視した空論にすぎない。
このようなキルケゴールの考え方は、後のヤスパースなどに影響を
与え、実存主義の道を切り開いた。
(後略)
問5 下線部(d)に関して、キルケゴールはどのように考えたか。
その説明として最も適当なものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
1:本来の自己を見失って絶望する人間は、理性によっては根拠づけられる
ことのない信仰への決断によって、本来の自己を回復できる。
2:現世の悪に絶望するキリスト者は、神から与えられた現世の務めに専心
することによって、人間としての本来のあり方を獲得できる。
3:超越的な神がもはや存在しない現実に絶望する人間は、自ら覚悟を
もって価値創造に挑むことで、本来の力を獲得することができる。
4:肉体を支配する悪の原理に絶望するキリスト者は、信仰による決断を
通して、魂から肉体を解放し、本来の故郷に帰ることができる。
★答えは
(1)です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyob_uru.gif)
解説には以下のように書かれていました。
第四問
問5 正解は①
いわゆる「実存の三段階」の最終段階である宗教的実存についての正しい記述
である。
●倫理の試験の問題原文と・解答・開設のサイト
http://www.toshin.com/center/
ここにアクセスして頂き「倫理」の「問題」をクリックし、
さらに「第四問」をクリックしていただくと出てきます。
デンマークの哲学者セーレン・キュルケゴール!
「世界中で最も多量のインクを使った人」といわれるほどの
勉強家でした。
実存哲学の先駆者といわれます。
セーレン・オービエ・キェルケゴール
Soren Aabye Kierkegaard,1813-1855
著「あれかこれか」「不安の概念」「死に至る病」など。
※実存 :実際にそこにあるもの。
特に人間存在をいう。
主観とか、客観とかに分けてものごとを
とらえる前の存在の状態。
実存主義:人間の実存を中心に考える思想
客観的なとらえかたや、
観念的なとらえかたを批判する。
そのセーレン・キルケゴールは、人生の根本問題に、
深刻に取り組んだ哲学者でした。
彼の信念は「ギーレライエの手記」と呼ばれる日記に記されています。
『私に欠けているのは、私は何をなすべきか、
ということについて私自身に決心がつかないで
いることなのだ。(略)
私にとって真理であるような真理を発見し、
私がそれのために生き、
そして死にたいと思うようなイデー(理念)を
発見することが必要なのだ。
いわゆる客観的真理などをさがし出してみたところで、
それが私に何の役に立つだろう!』
格好いいですね!!(そういう問題ではないか?)
また、キルケゴールは
「 自分自身を忘れるという、もっとも危険なことが世間では、
いとも簡単になされている」
と著書『死に至る病』で警告しています。
この言葉は
「どのような喪失にしろ、これほど平静にすまされることはないもので、
ほかのものなら何を喪失しても、腕1本、足1本、金5ターレル、妻、
そのほか何を失っても、ひとはすぐに気づくのである」
と続きます。
自己を知る重要性を訴えた人でした。
このころ、デンマークでは、ヘーゲルらの哲学が流行していました。
そこには、いかめしい体系はあっても、
肝心な「自己の生き方」が抜け落ちていたのです。
キルケゴールは、彼らの哲学を拒絶し、
「自分がそのために生き、そのために死ねる真理」を探そう、
と思ったわけですね。
そんな彼の前に現れたのが、レギーネ・オルセン。
たちまち、恋に落ち、27歳で婚約したのですが、
約1年後、約束を一方的に破棄しました。
恋する人を得ても、大事な問題は未解決のまま。
『たとえ全世界を征服し、獲得したとしても、
自己自身を見失ったならば、なんの益があろうか』
と、当時の日記に書いています。
すごい言葉ですね。
このキルケゴールの哲学を学ぶ時、忘れてはならないのが
『実存への3段階』です。
『あれか―――これか』『哲学的断片』『人生行路の諸段階』
などの著書を次々と出版し、その中で、
人間の真の生き方に到達する道を、3段階に分けて考え、記したものです。
①「美的段階」
欲望のままに快楽を追う生き方。
しかし、無限の欲は満たされず、不満と不安にとらわれ、
やがて、絶望してしまう。
人は快楽では真の幸福は得られぬと気づく。
②「倫理的段階」
欲を抑え、道徳的に生きる生き方。
しかし、不完全な人間に、完全な善はできない。
結果、真剣に善に向かうと、良心の働きが鋭くなって、
自分の悪が見えてくる。
罪悪感が深まり、またもや絶望するほかなくなってしまう。
③「宗教的段階」
人間を超越した絶対者の力によって幸せを与えてもらうしかない。
不完全な人間の内側を探しても、絶対者は存在しない。
だから、救済は信仰の決定的飛躍によってのみ得られると確信する。
これが『実存への三段階』です。
西欧で生まれ育ったキルケゴールにとって、「信仰」とはキリスト教でした。
彼は、聖書の記述を一切、疑わないように努力したそうです。
例え話や冗談として扱わず、まともに受け止めようとしたのです。
しかし彼は最後まで、キリスト教を信じ切れませんでした。
「キリスト教はどこにもない」
と絶望の叫びを残しています。
彼自身は「宗教的段階」をキリスト教に求め、結果、幸せには
なれなかったようですね。
しかし、実存主義は受け継がれ、のちにハイデッガーが現れるわけです。
ハイデッガーについては、またの機会に☆