ビートルズのヒット曲で知られるリバプールの孤児院
「ストロベリー・フィールド」が
約70年の歴史に幕を下ろし5月31日事実上閉鎖されました。
「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」は。
1967年に大ヒットしたビートルズの名曲。
ジョン・レノンは、孤児院の近くにあるおばさんの家に
引き取られて暮らしていました。
両親と離れた生活がストロベリー・フィールドの子供たちと
境遇が似ており、よく遊びにいったようです。
その体験を歌に込めたといわれています。

(写真は「ストロベリー・フィールド」)
そのビートルズを通して人生を哲学したいと思います。
◆20世紀最高のアーティストと言われる『ビートルズ』
その記録は群を抜いています。
たとえばイギリスの「ミュージック・オブ・ザ・ミレニアム」では、
60万人を超える大規模な投票の結果、2位から10位の得票数の
合計数を上回る圧倒的な支持を得て「ビートルズ」が
【史上最高のバンド】に選ばれています。











【史上最高の傑作アルバム】はビートルズの「サージェント・ペパ
ーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」
【史上最高のソングライター】部門の1位はジョン・レノン、わず
かの差で2位にポール・マッカートニー。
【最も影響力のある音楽家】部門でも、モーツアルトやバッハ、
プレスリーという錚々たる顔ぶれを押さえてジョンが1位。
同様の投票は日本でも行われましたが、並み居る邦楽アーティス
トをおさえて各部門の1位に輝いたのはやはりビートルズでした。
全世界でのアルバム販売枚数は3億組を超えているとも言われます。
最盛期の頃はワン・ステージのギャラは50万ドル(当時で約2億円)
を下らなかったといいます。
「目もくらむような幸せ」のハズですが。。。
どうもイメージしている幸せと、実際の幸せには大きな開きがあるよう
です。
【有無同然(うむどうぜん)】という四字熟語があります。
無ければ無いで苦しいが、有れば有ったでまた苦しいという意味。
中々本当の幸せを知るのは簡単ではないようです。
そんなことを考えさせられるビートルズの発言を以下列記。






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●映画の主題歌として1965年に大ヒットした【ヘルプ!(助けて)】
について作者のジョン・レノンはのちにこのように語っています。
「当時の自分の心の内をありのままにさらけ出した曲で、あのときは
ほんとうに助けを求めていたんだ。」
「当時はヒット曲にするためにアップ・テンポで録音したけど、ほん
とはスロー・テンポで正直に苦しみを表現すべきだった」
●ビートルズは成功とひきかえに失ったものが大きすぎた。どこへ行って
もホテルに缶詰にされ、ファンや報道陣に取り囲まれ、明けても暮れて
もただ同じことが繰り返されるだけの毎日だった。
「有名になれば自分の思いどおりに活動できるだろうと思っていたのに
気づいたら自由は完全に奪われてしまっていた」(ジョン)
「僕らはオリに閉じ込められた動物と同じようなものだった」
(ジョージ・ハリスン)
●「いったんビートルズを乗せた馬車が快調に走り出すと、もう彼は降り
たくても降りられなかったんです」(ジョンの前妻シンシア)
●「ビートルズというものがいったい何なのか、さっぱり分からなくなっ
ていた。僕はブタのように食らい、ブタのように飲み、ブタのように
太って、どうすることもできない自分に不満を抱き、無意識に助けを
求めて叫んでいたんだ」 (ジョン・レノン)
●「ぼくは負け犬、ピエロみたいに陽気に笑っているけれど、仮面の下は
しかめ面」(『アイム・ア・ルーザー』ジョン・レノン)
●知名度が増すと脅迫状が送られてくるようになった。1964年には、
4人を乗せたニュージーランドの国内線旅客機に「細菌爆弾をしかけた」
という匿名の電話がかかってきた。
●モントリオール公演ではリンゴ殺害予告の脅迫状が届いたため、リンゴ
はいつもより高くセットしたシンバルに身を隠すようにして演奏し、ド
ラム・セットの下には刑事が待機していた。
ケネディ暗殺後間もなかっただけに余計に神経質になっていた。
●大規模な野外コンサートでは、たとえ悪天候にみまわれても、キャンセ
ルが許されなかった。
66年のセントルイス公演では、メンバーがびしょぬれになった機材で
感電死の危険と隣り合わせで演奏を続けた。
前日にはマネージャーが機材のセッティング中に感電し、6メートルも
飛ばされる事故があったばかりだった。
●66年フィリピンにて、連絡の行き違いで、ビートルズがイメルダ夫人
のパーティーへの招待をすっぽかしたと誤解され、空港では200人に
とり囲まれ、こづきまわされたあげく、マネージャーらが暴行を受けて
負傷。飛行機に乗り込んでからも、出国許可が出されないなど嫌がらせ
を受けた。
●このようなことが続き、66年をもってライブ活動は中止される。
「とにかく疲れていた。悲鳴しかあげない観客相手に、4年もツアーを
続けてたんだからね。そろそろ休みたくなった」(ジョージ)
「ぼくらはろう人形も同然だった。」(ジョン)
「ファンは演奏を聴かず、前に突進することに懸命だった」 (ジョン)
●「ぼくらはもはや名誉や成功を素直に喜べる状態になかった。昔のよう
な世間知らずではなくなり、考え方も変わっていたんだ」(ジョージ)
●コンサートツアーをやめ、レコーディングに専念するようになり
「もうビートルのふりをしなくていいんだ」とジョージは独り言を言った
という。
●「ビートルズの一員として僕は成功を収め、何もすることがなくなってい
た。金もあり、名声も得たが、喜びはなかった。」(ジョン)
●「ぼくが怠け者だって みんなが思ってるんだ 気になんかしないさ
おかしいのはみんななんだから ものすごいスピードで
あっちこっち走りまわって 結局なんの意味もなかったって
あとになって気づくんだ」
(『アイム・オンリースリーピング』)
●「どっちを向いているのか分からぬとき、どうやっておれは前へ進める
だろう?
どっちへ曲がったらいいか分からぬとき、どうやって俺は前へ進める
だろう?
確信がもてないとき、どうやって前進して何かに入っていけよう。
できはしない。」
(ジョン・レノン『HOW』)
★ちなみに、ぱんだは「ビートルズ」の大ファンだということも
申し添えておきます。
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