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建物の振動が、半端じゃないことは以前に書いた。(下水道工事をしているからなのだけど。)
なーんかダンプの通るたび震度5位の揺れに半分あきらめモード。どこにこの不満をぶっけたらいいのかわからないまま・・・
揺れるたび不平不満を言って溜息ばかりの今日この頃。
そんな時、やはり頼りになるのは隣のおやじさんだ。
国道沿いの住民の不安や不満を、工事関係者に話してくれた。
女はどうしても感情的になって、的確に話せないし、それに私は亡くなった主人が建築関係の仕事をしていて、こういう問題が日常茶飯事だったので、両方の言い分が理解できるだけに全くうまく話せない。それを隣の親父さんはちゃんと理路整然と説明してくれて、お役所が重い腰を上げて、段の付いている国道をきちんと修理してくれるらしい。
これで少しはガタガタが収まってくれればいいが。
とにかく国道沿いの家屋の宿命とはいえ、騒音と振動の戦いなのだ。
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さて。我が町の駅前商店街の一部です。
昨日の続きのようだけど・・・
ゴーストタウン化した商店街でも、生き残る方法を色々と考えて頑張っている商店はある。それはネット販売を利用しているのだ。
「やはり時代のせいにしてはいけない、知恵を働かせて、時流の変化に対応していかなければならないんだ。」そうは思うけれど、しかしほとんどの店が、人口の減少と近場の大型店に客足を奪われ、立ち行かなくなって、シャッター商店街になっているのが現状なのだ。
がしかし、ふと考えたら、そのうち我らが町が消滅するんじゃないかという不安が頭をよぎる。
ネット販売が可能なものって、たくさんある。基本的に生の食材以外はネットで購入できるんじゃないだろうか。
私もトンボも、本はほとんどネット購入だ。本屋に頼んでも最低一週間くらいかかる。ネットで購入すると物がありさえすればこんな田舎でも一日で来るんだもん、そりゃネットで頼むわな。
物を買うのに店舗を構える必要がなくなってきた。店舗にかかる諸経費が節約できるし、在庫を置かなくていい。
ということは町から店が消えていく。
そこに足を運ばなければならない業種、飲食店とか、理美容院とか、この類だけが生き残る。店があるから町が構成されているのに、そうなるともはや 町が消えていくというストリーは目に見えている。ゴーストタウン、シャッター通り・・・
ネット販売も悪いことばかりではない。そういうシステムが普及することにより、助かる人も大勢いる。
町から遠い所に住んでる高齢者や、外出がなかなかできない人たちがネット販売で救われているという話も聞く。
だけど買い物の楽しみは何と言っても店でじかにその物に触れて、あるいは接することの方にあるんではないかと 古い私は思う。
私の浅はかな考えかもしれないけれど、多分…駅前ばかりでなく高齢化により、時代についていけない事業主が増えて、町から小さな店は消えていくのだろう。そう思う。
昭和30年代の、角の文房具や、みかんがあふれるように店先に積んであった八百屋、「ヘイ いらっしゃい、いらっしゃい。」の掛け声の魚屋、そんな町並みはもう見ることができないかもしれない。
我々の人格の大半は記憶なのだ、そこで出会った思い出が人格を形成いていると思う。
慣れ親しんだ町並を、家を、景観を、それらを身体に着こむ様に生きてきたのに、それらが失われ消えていくということは、身を切られるように辛い。
けどでもそれも時代だからとあきらめなければいけないのかなぁ。
私の店は 二代目はいない。
少なくとも私の体力と気力だけが支えている。道路がガタガタして 店が傾くような突発的なアクシデントがあれば、もうおしまい。
何年か先、「そういえばここに 変なおばさんがやっていたコーヒー屋があったよなぁ」と誰か思い出してくれるだろうか?
仕事が終わり、風呂上りにビールをひとり寂しく飲みながら、そんなストーリーがうかんだ秋の夜でした。
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建物の振動が、半端じゃないことは以前に書いた。(下水道工事をしているからなのだけど。)
なーんかダンプの通るたび震度5位の揺れに半分あきらめモード。どこにこの不満をぶっけたらいいのかわからないまま・・・
揺れるたび不平不満を言って溜息ばかりの今日この頃。
そんな時、やはり頼りになるのは隣のおやじさんだ。
国道沿いの住民の不安や不満を、工事関係者に話してくれた。
女はどうしても感情的になって、的確に話せないし、それに私は亡くなった主人が建築関係の仕事をしていて、こういう問題が日常茶飯事だったので、両方の言い分が理解できるだけに全くうまく話せない。それを隣の親父さんはちゃんと理路整然と説明してくれて、お役所が重い腰を上げて、段の付いている国道をきちんと修理してくれるらしい。
これで少しはガタガタが収まってくれればいいが。
とにかく国道沿いの家屋の宿命とはいえ、騒音と振動の戦いなのだ。
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さて。我が町の駅前商店街の一部です。
昨日の続きのようだけど・・・
ゴーストタウン化した商店街でも、生き残る方法を色々と考えて頑張っている商店はある。それはネット販売を利用しているのだ。
「やはり時代のせいにしてはいけない、知恵を働かせて、時流の変化に対応していかなければならないんだ。」そうは思うけれど、しかしほとんどの店が、人口の減少と近場の大型店に客足を奪われ、立ち行かなくなって、シャッター商店街になっているのが現状なのだ。
がしかし、ふと考えたら、そのうち我らが町が消滅するんじゃないかという不安が頭をよぎる。
ネット販売が可能なものって、たくさんある。基本的に生の食材以外はネットで購入できるんじゃないだろうか。
私もトンボも、本はほとんどネット購入だ。本屋に頼んでも最低一週間くらいかかる。ネットで購入すると物がありさえすればこんな田舎でも一日で来るんだもん、そりゃネットで頼むわな。
物を買うのに店舗を構える必要がなくなってきた。店舗にかかる諸経費が節約できるし、在庫を置かなくていい。
ということは町から店が消えていく。
そこに足を運ばなければならない業種、飲食店とか、理美容院とか、この類だけが生き残る。店があるから町が構成されているのに、そうなるともはや 町が消えていくというストリーは目に見えている。ゴーストタウン、シャッター通り・・・
ネット販売も悪いことばかりではない。そういうシステムが普及することにより、助かる人も大勢いる。
町から遠い所に住んでる高齢者や、外出がなかなかできない人たちがネット販売で救われているという話も聞く。
だけど買い物の楽しみは何と言っても店でじかにその物に触れて、あるいは接することの方にあるんではないかと 古い私は思う。
私の浅はかな考えかもしれないけれど、多分…駅前ばかりでなく高齢化により、時代についていけない事業主が増えて、町から小さな店は消えていくのだろう。そう思う。
昭和30年代の、角の文房具や、みかんがあふれるように店先に積んであった八百屋、「ヘイ いらっしゃい、いらっしゃい。」の掛け声の魚屋、そんな町並みはもう見ることができないかもしれない。
我々の人格の大半は記憶なのだ、そこで出会った思い出が人格を形成いていると思う。
慣れ親しんだ町並を、家を、景観を、それらを身体に着こむ様に生きてきたのに、それらが失われ消えていくということは、身を切られるように辛い。
けどでもそれも時代だからとあきらめなければいけないのかなぁ。
私の店は 二代目はいない。
少なくとも私の体力と気力だけが支えている。道路がガタガタして 店が傾くような突発的なアクシデントがあれば、もうおしまい。
何年か先、「そういえばここに 変なおばさんがやっていたコーヒー屋があったよなぁ」と誰か思い出してくれるだろうか?
仕事が終わり、風呂上りにビールをひとり寂しく飲みながら、そんなストーリーがうかんだ秋の夜でした。
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