アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

55年前、中国とソ連が戦った 何だったんだ?

2024年08月05日 | Weblog
   プーチンが北朝鮮を訪問。この動きが気に入らないのが習近平。すぐさまプーチンと会談。「僕たち、仲良しだよねー」を確認。
 習近平、プーチン、金正恩、この3人と互角に立ちあえる日本の政治家はいるのか?
 岸田さん?習近平の無表情なツッパリに、あっさり土俵を割りそう。 
 石破さん?石破さんの「睨み攻撃」も、金正恩の「ぶちかまし」には効果がなさそう。
 麻生さん?プーチンの背負い投げで5.8mぐらい吹っ飛ばされそう。
 過去の日本の総理に、田中角栄さんがおられました。角栄さんなら、三人組を片っ端からぶっ飛ばしそう。そんなに強かったのかって?類まれな権謀術数と人心掌握術。このような政治家は、もう現れないかも。

 さて、仲良しのロシアと中国ですが、ロシアがソ連の時代、ソ連と中国が戦闘状態になったことがありました。
「珍宝島だろ、昭和44年のことだから、赤ちゃん以外は知ってる」って?失礼いたしました。
 珍宝島(ちんぽうとう)事件は、今から55年前(1969年 昭和44年)のこと。私は、21歳でした。

 満州に、アムール川という大河があります。中国名は黒竜江。
 私は子どもの頃、この川の名を父から何度も聞かされていました。父は、日本軍の上等兵で、チチハル、ハルピンへ行っていたのですが、この川の大きさには度肝を抜かれた様子でした。
 で、アムール川の支流であるウスリー川に中州がある。支流といっても川幅は500m。中州は、珍宝島(ダマンスキー島)という名前が付いています。この、珍宝島の領有権を巡って、ソ連と中国の大規模な軍事衝突が発生したのです。

 中国の国境防衛隊が、夜中に珍宝島を侵犯して占拠し国旗を立てました。
 ソ連軍は、すぐさま追い払いました。その後、中国軍は、一個師団(1~3万人)を投入して島を奪還。

 さてさて、ソ連軍なんですがね。中国との国境線上空に12個の宇宙衛星を飛ばしておりまして、同一地点を1時間ごとに衛星で監視する態勢をとっていたのです。 
 深い霧があたりを覆ったある夜、膨大な数の戦車を動員して島を取り囲み、翌朝一斉射撃で中国兵を撃ち殺しました。そして、戦車を上陸させて生き残っていた兵隊たちを(死体も含めて)戦車でローラーをかけて轢き殺してしまいました。
 これが珍宝島事件のあらまし。

 私は、「夜中に占拠」は、中国らしいなあと思っていました。「生存者も死体も一緒くたにして轢き殺す」は、ソ連らしいなあと感心したものでした。感心する所じゃないですがね。

 珍宝島事件で、中国は、「衛星で監視しているソ連には勝てない」と悟った。で、どうしたかといいますと、米国に頼ることにしたわけです。

 ここで田中角栄が出るのですが、1972年(昭和47年)に中華人民共和国を訪問。北京で周恩来首相や毛沢東共産党主席と会談。日中国交正常化を実現させました。
 珍島事件が、1969年なんですよ…。ほぼ同時期に、中国が米国と仲良くなり始め、日本が中国と仲良くなる。その後の田中角栄の動きが目障りだったのが米国。米国は、田中角栄を総理の座から引きずり下ろすために、「ロッキード事件」を仕掛けた。

 田中角栄さんのような政治家、今の日本じゃ現れないのかなあ?武器なしで、ロシア、中国、北朝鮮を、ねじ伏せる政治家の出現を期待しています。