アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

文化財にしたいもの「薩隅方言&津軽弁」

2024年08月14日 | Weblog
 文化財は、「我が国の長い歴史の中で生まれはぐくまれ今日まで守り伝えられてきた貴重な国民的財産」です。

 醤油を英語で言うと、「ソイソース(soy sauce)」。日本で、醤油を「ソイ」と言う地方があります。
「日本で、英語を話す地域があるのか」って?いえいえ、「醤油=ソイ」は、薩隅方言なのですがね。英語を公用語にしている訳ではないみたい。

知ったかぶりの私でも、薩隅方言の会話はぁ、解りません。アハハです。
 語韻の踏み方、間の取り方、言い回しなどがぁ…異質です。そのため、「薩隅方言人工言語説」が語られたこともありました。中央の言葉とは全く異なる言葉を使うことで、情報の漏れを防ぎ、幕府の隠密の侵入を難しくした。
 しかし、この人工言語説は、「いくらなんでも、そりゃ無理だっぺ」ということで、いつの間にか忘れ去られていますね。

「・・・だっぺ」は、茨城、栃木の人の領域でしたね。
 鹿児島でも「だっぺ」を使います。
「だっぺ早く行こう (だから早く行こう)」
 茨城の「…だっぺ」は、「…です」。鹿児島の「…だっぺ」は、「…だから」。音は同じでも、意味が違いますね。騙したわけではありません。

 乗車率200%以上かと思われる大混雑の新幹線に「東京」から「新函館北斗」まで乗ったことがありました。4時間以上もぎゅうぎゅう詰めの車内に立ち尽くしていた訳ですが…。
 青森駅での乗り換えは、数千人が「我先に!」ですから、押し合いへし合い。流血はなかったようですが大変でした。
 怒号が飛び交いました。私も柄にもなく腹立ち紛れに…
「列を守れっ!それでも武士かっ!」とか、「奥へ詰めろよ!シカトしてんじゃねえぞ!日本人なら武士道を重んじろっ!」と口汚く大音量で叫びました。何の効果もありませんでした。

 なんとか乗り込みました。聞こえてくる言語は、「日本語」「英語」「中国語」…。あと、「津軽弁」。おっと、津軽便は日本語でした。
 津軽弁の会話は、青森から乗車した「母と高校生ぐらいの娘」。ずっと私どもの隣。母娘の会話は、初めのうちは気取った日本語でした。身動きがとれない修羅場に業を煮やしたのか、使用言語が日本語から津軽弁に変わった!豹変ってやつですなあ。

「あんづましくねえなあ(気持ちがやすらがないなあ)
「あだまもぢいぐね (頭の具合がわるいなぁ)」
「押すなじゃぁ!(押すなよ!)」
「後ろの女、ウダデ腹立つ!(後ろの女、モノ凄く腹が立つ)いっぱんだすけだ格好して! (へんな格好して!)」
「まいね、まいね(気にするな)すたのさかもってらいねじゃ(そんなのに構っていられないよ)」

 津軽母娘の「まいね」を耳にしたとき、私は、叫びました。
「マイネ クライネ ナハト ムズィーク!」戦場ですから、恥も外聞もなーんもない。私の大声のジョークに、誰も笑わない!モーツァルトさん、すべってごめんなさい。

「(押してくる男に)な、だだば! (お前は誰だ!)わいーきまげるじゃ (くそーイライラする)。いででで(痛い痛い)、ヒンジャガブ蹴ったなぁ、クソ!(膝を蹴ったな、ウンコ!)」。

 東北の人でなければ、理解できない会話ですよね。
難解方言の双璧、「薩隅方言&津軽弁」。重要文化財にすべきと思います。しかし、壁があるんですねえ。

 方言ですから、「時間的な変遷がある」「地域による濃淡や交雑」「世代的差異」等の壁があるので、文化財の判定に基準が設けられない。
 文科大臣に頑張っていただきたいがぁ?なぬ?文科大臣の名前を知らない?盛山正仁さん、70歳。灘高校→東大。法学博士、商学博士…方言のおもしろさは理解していただけないかなぁ?いただけると思うけどなあ…。