アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

新人障害者のカオス

2024年06月08日 | Weblog
 お世話になった両下腿を失って1年半ほど。新人の障害者です。「人生の途中」で障害者になったので、「中途障害者」という呼び名もあるらしい。なぜ「途中障害者」ではないのか?もっとも、どう呼ばれようと障害は治癒しませんがね。

「老いるとは、誰もが中途障害者になるということ」
 このフレーズ、誰が考え出したものやら。まさか、イェール大学アシスタント・プロフェッサーじゃないでしょうね。
 「老人=障害者」。生きている人は、皆さん、中途障害者への道を進んでいるということなのでしょうか。私の場合は、高齢かつ障害者ですから「中途、二重障害者」ということになるのでしょうかねえ?決して自慢してませんから!

 障害者になると、おそらく誰しもに、「①ショック期 ②否認期 ③混乱期」が、順番に訪れます。
 ショック期、否認期は、ダダをこねたところでどうしようもないので、皆さん「うやむや」のうちに乗り越えられるでしょう。私は、達観していますから(自分で言うか?)、涙も出ないうちに昇華。「亀の甲より年の功」ですかね。
 さてさて、そのあとの「混乱期」が辛い。生涯抜け出せない人が多いんじゃないかな。私も、障害者経験1年半とはいえ、カオスの「るつぼ」。「障害受容」ができていない。
 なぬ?「達観している人物が、障害受容できないのか?」って?…正直、その通りなのです。
  
 カオスその1「自分は何者になってしまったのか?」
 ・・・人間には間違いないけど、日々、存在が薄れていく感じがします。これ、結構辛いです。悪あがきしたいところ。
 カオスその2 「生きているようで、本当はすでに…?」
 ・・・時々、家族に「私、生きているよね」と、確認することがあります。
 カオスその3 「自分は、どこへ向かっているのか?」
 ・・・自力では移動できません。向かう方向は…最終的には「死」ですが、それじゃあ、今まで生かしてくださった皆さんに申し訳が立ちません。
 カオスその4 「日々を無駄に過ごしているだけじゃないか?」
 ・・・こうなると、またぞろ「自決しなさい、切腹しなさい」のイェール大学の30代後半の経済学者さんのご意見が正当なものになってしまいそう。津久井やまゆり園の事件を思い起こします。かといって、「老人だって社会の役に立っているんだぞぉー!」と、大声で言える何者もない。

 この混乱期は、生涯終息しないかもしれません。もっとも、自分の心の問題なのですがね。