ホルモン屋徒然草~珍しホルブロだ

新米ホルモン屋の親爺の日々。ホルモンのこと、店の出来事、周辺の自然や話題。

満ちたりたるもの

2013-05-23 11:48:28 | 第1紀 生きる
昨夜は急遽、同級会。

「花北29年会盛岡支部」の久々の開催だ。

月曜日決めて2日後、6名はよく集まったほうか。

同級生ならではの遠慮のいらない会話で盛り上がる。


いつもながら「孫」と「愛犬」のかわいがり物語が横行。

年齢に応じた「持病」の話も。

そろそろ言いたきャないが「死」に直結するものまで平気で披露される。

皆、来年は出身の「花北」(1月3日予定)はもちろん、各中学校ごとの「還暦」の歳祝いを迎えるのだ。

しかし諸君、我々はちょいと上の団塊の世代ほどではないが「生」に対する執着は凄いのだと、改めて仲間の皆を見回してそう思った。

まだまだ現役で仕事もバリバリ、家庭人や地域の中核としての役割もこなしながら、まさに生きているという前進力に満ちている。
  (なかには「生」以上に、「りっしんべん」の「せい」の話題に熱中する者、二名在り。つまり「元気」だということ。)

若かりしころ、還暦を間近にした中年がこうも元気だとは思いもしなかったのだが、いざ自分達がその歳になれば、なんのことはない体型や髪の毛の色が歳相応になっただけで、中身、つまり頭のひだひだはそう変わっていないことに気がつくのである。

これではいくら孫がいたとしても、好々爺でおさまるわけはないのであり、還暦後も自由自適な隠匿生活に入るなんて感じは、この日の仲間からは微塵も感じない。

そういう、なんというか肩の力の抜けた、そしてまた遠慮無しの会話にしのぎを削るというか丁々発止のある意味、心地よい緊張感を持った時間であった。

ただ、以前と違うのは、そのまま次の場所に突進するということも無く、じゃぁまたねと静かに散会してしまう後ろ姿に、少しばかり年齢を感じたのみである。

さて、今日は給料日前の平日。

静かに皆さまのお越しをお待ち申し上げます。