<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

早朝6時には外に出ていた。まだ明け切れていなかった。

2021年10月05日 11時49分40秒 | Weblog

今日は早朝6時には外に出ていた。まだ明け切っていなかった。

 

プランターに種を蒔いていたのが発芽して成長して、ポットに移してもよくなっていたので、その作業をした。春菊苗が40個出来上がった。もう一週間したら、これを道の駅に出荷してみようと思っている。1ポット60円。さあ、5~6個でも売れるだろうか。怪しい。

 

水撒きをちゃんとしたのに、この暑さだ。厳しい日照りで、しなだれている。裏庭の日陰に運搬しておけばよかった。

 

8時半になって、やっと完了した。仕事がのろい。のろまだ。

 

それから朝ご飯にした。高菜の一夜漬けをしてもらっていた。高菜は今年の初物である。くんと薫った。畑に10cmほどに成長している。

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死なぬ為またもう一度生きる為

2021年10月05日 11時37分30秒 | Weblog

死なぬ為またもう一度生きる為 種をこぼせる秋の鶏頭

    薬王華蔵

 

 

この短歌の作品がS新聞読者文芸の松尾選者の選で入選していた。松尾選者がわたしの作品を取り上げて下さるのは極めて極めて稀なことだけに、嬉しく有り難く思った。

 

 

植物は花を咲かせて実を着ける。実は次の代の種になる。だから植物は、現世来世の2世を生きていることになる。だから、途切れない。断絶がない。植物は賢者である。来世を憂えないですむようにしてある。死なない生き方を選択しているのだ。

 

いや、それは植物だけではないのだ。人間も死なない。死なないために死ぬ。そういうシステムを選択している。有形の肉体を死んでみせるが、いのちは死なない。無相のいのちは永遠を生きている。いのちは、植物の「種」に相当するのかもしれない。

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10月度の詩部門の作品 「象」

2021年10月05日 11時21分37秒 | Weblog

僕の書いた詩 「象」      山鳩暮風

 

ほほうぼぼうばぶう/ほほうぼぼうばぶう/ほほうぼぼうばぶう

 

日の隈山から声が流れて来る/木の葉木菟(ずく)だ/夜が更けて行く

 

全身の色は淡黄褐色/耳に耳羽を立てている/体長は20cmくらいしかない

 

おれも生きているんだぞう/おれも生きているんだぞう/おれは生きているんだぞう/そう鳴いているように聞こえる

 

おいらは寝られない/おいらも象になってしまう

 

おれは生きているんだぞうの象が/のっそりのっそり歩き出して/どしんどしんと闇の外へ出る

 

 

この作品が、S新聞読者文芸、詩部門、10月度の2席入賞作品に選ばれていた。

選者の選評はこうあった。

「木菟(みみずく)の鳴き声でもあり、象の声でもある。その声に乗って、全体からユーモアが温かく表出して来る。のそりのそりでいいんだぞう、と」

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