<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

夕方5時半、外は積雪を見た。うっすらとだが。

2020年12月30日 17時32分09秒 | Weblog

夕方5時半。外は積雪した。屋根にも積もった。庭や畑にも積もった。うっすらとだが。

このまま降り続けば、明日の朝、大晦日の朝は一面の銀世界を見ることになるだろう、おそらくは。

風はない。寒い。あたたかいはずの九州の地、佐賀を北国にして、しんしんと雪が降り積もって行く。

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助かってくれよ、救われてくれよ、安心してくれよ、の願いのこもったパワフル語。

2020年12月30日 17時01分13秒 | Weblog

この呪(しゅ)一遍を誦すれば、一切の罪障みな悉く消滅す もろもろの病苦を除き、もろもろの怖畏を離れ、生死の海を超えて、涅槃の岸に至る。    「仏説十一面観世音菩薩随願即得陀羅尼経」より

呪(しゅ)は、十一面観世音菩薩の呪文のことである。呪文は、真言とも陀羅尼(ダーラニー)とも呼ばれる。苦悩する者の苦悩を解き放つ力を秘める。救済のための利他偈文である。力(パワー)を持つ。

ただ一度だけでもこれを読誦すれば、抱えている罪障がその場で掻き消えてしまう。病苦から逃れられる。恐怖心から離れられる。迷いの世界を出て安心の世界に到達する。超えて超えて超えて行くことができる。

超えて超えて超えて行くのである、われわれは。そこを超えて行くのである。此処を超えて行くのである。立ち止まらない。われわれは一時も立ち止まってはいないのだ、ということを教えてくれる。

病を超えて行くのである。苦しみ悲しみを超えて行くのである。迷いの世界(=生死の海)を超えて行くのである。そして最後に仏陀の智慧と慈悲を受領して、涅槃寂静の世界(=仏国土=安養浄土)に入る。

仏教の経典は、「安心していいのだよ」ということを口を酸っぱくして説いている。説き聞かせている。これもその一つだ。

十一面観世音菩薩の呪文、それはこうだ。

「おんまかきゃろにきゃそはか」

助かってくれよ、救われてくれよ、安心してくれよ、という願いのこもった呪文だ。利他する菩薩のパワーが籠もる。

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心は欲深だ、欲しがる。何にも与えられなかったかの如くに。

2020年12月30日 16時32分00秒 | Weblog

どうやったらいいのか。癒やされるのか。

 

癒やされているはずなのに、まだほしがる。

 

昼間は太陽が照らして、夜は星々が輝いて、それでもう十分なはずなのに、十分としない。

与えられて与えられてきたのに、それをそうと見なさない。

 

こころは竹でできた籠なのかもしれない。したたり落ちてしまって、残っていない。

いつも空っぽになっている。

 

補っても補っても乾いている。干からびている。

ポットの中の水を垂らしてみる。注いでみる。

 

こころは欲深だ。ほしがりにほしがる。

やさしい人のやさしい手を欲しがる。そこにそれがあると、癒やされるような気がして来る。

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じゃ、寂しがっているしかあるまい、いつまでもいつまでも。

2020年12月30日 16時15分30秒 | Weblog

雪が、こうもちらちら降ってくると、お爺さんは寂しくなって来る。

誰かに会いたくなって来る。

 

誰でもいいわけじゃない。

といって、誰かでなければならないということもない。

 

相槌を打ってくれる人でいい。わざとらしくなく、そっと、軽く軽く相槌を打ってくれる人がいい。

寒いですねといったら、寒いですねと返してくれればそれでいい。

 

会ってどうするか。どうもしない。

もう少しいたい、いっしょにいたい、と思えるくらいでいい。

 

以上、条件を出したが、条件をかなえる人は見当たらない。

じゃ、寂しがっておくしかあるまい。いつまでもいつまでも。

 

雪が斜めに吹き付けている。少し風があるのだろう。ぼんやりと外を眺めている。

お爺さんはお爺さんらしくない。何年生きても悟っていない。

 

寂しがる。

いない人に会いたがる。やさしいおんなの人、やさしくして語りかけてくれる人に会いたがる。

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さっきしばらく歩いてみた、家の周辺を。

2020年12月30日 15時44分49秒 | Weblog

雪がちらちらちらと平仮名のやさしい形をして降っている。

このまま降り積めば、此処は一面が雪の野原になるだろう。

 

いつも遊びに来る雀たちも、落ち葉の毛布にくるまっているのか、もうなんどきも姿を見せない。

家の中の炬燵に座を占めているばかりでは、季節を体験できないだろうと思って、さっきしばらく歩いて来た。家の周辺を。

 

寒かった。冬を肌身で体験した。

ついでに畑の春菊を摘んで来た。今晩のすき焼きに加えよう。

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今日の我が位置をよろこぶ。喜び得たこと、それが果報にほかならない。

2020年12月29日 18時54分10秒 | Weblog

聞其名者 得現果報    (もんごみょうしゃ とくげんかほう)

其の名を聞く者は、現(在)に果報を得たり。    仏説延命地蔵菩薩経より

「其の名」とは延命地蔵菩薩の名のことである。なかなか、なかなか、その名を聞くまでに至らないのである。

聞いたら、呼べるのである。名を呼べるのである。称えることができるのである。

だから、名を称えた者は、そこで即ち、時を移さず、現在此処で果報を得るのである。

果報に至り着いた者は、嬉しくなる。よろこび。歓喜する。現在の我が位置に感動を覚えてくる。

この結果に至り着いたことを希有として、よろこぶのである。

いつもいつもいつも、われわれはそのときそのときに結果を頂いている。

結果を頂いてそれをまた原因としてスタートする。到着してスタートする。油断がない。

今日の我が位置をよろこぶ。喜び得たこと、それが果報にほかならない。

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この世にあるものはすべて目的を持つ。

2020年12月29日 17時23分43秒 | Weblog

山荒れて櫨は佐渡までお遣いに       山鳩暮風

わたしの俳句。落選の。

木枯らしが吹き荒れている。風に乗って山腹の櫨の紅葉がくるくる空を舞う。高く高く飛び上がって、空に吸われてしまう。向こうは日本海。遠くには佐渡がある。

櫨の木の葉は無目的に消えて行ったのではあるまい。この世にあるものはすべて目的を持つ。その一途にある。

そうだ、佐渡までお遣いに出たのだ。佐渡の島には人が居て、その人は、漂着した一枚の櫨の木の葉を見て、昔、好きな人と過ごした歳月を懐かしむ。

そういうハタラキを背負って、お遣いに出たのだ。

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一人遊びを遊ばせておくと、機嫌がいい。

2020年12月29日 12時50分18秒 | Weblog

またぞろ、一人ままごとの遊びをしている。老人なのに、やっていることは幼い。

畑の草取りをして、それからまたまた高菜の苗を植え付けた。10cm~15cmほどの苗を。

高菜の苗はよく根付く。毛根に土がついていなくとも、根付く。強い。たくましい。生育もそれほど遅くはない。2月頃になれば収穫できるだろう。

高菜の一夜漬けがおいしい。僕はこれを好む。熱いご飯に載せて食べる。匂いもいい。

我が家だけでは食べきれないから、お好きな方にはお分けする。

高菜が好きな方とそうではない方もおられる。だからそれを確認してからにする。

一人遊びを遊ばせておくと、その間は、この老爺は機嫌がいい。

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手の平から、僕は宇宙の力のようなものを吸収し始める。

2020年12月29日 09時43分28秒 | Weblog

日が高く上って来た。部屋の中に差し込んで来る。明るい。まばゆい。

光が元気をも運んで来る。届けて来る。

空が大空になる。広々となる。雲をちょこんと浮かばせる。

お日様の力は偉大だなあ。

日当たりに手を差し伸べる。手の平から、僕は宇宙の力を吸収する。

すると、体内にあるエネルギーパワーがエンジンに点火して、回転のうなりを始めて来る。

僕は深呼吸をする。2度3度。深く大きく。空気がおいしい。

さ、活動体制に入ろう。

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あなたといっしょにいるとわたしはすぐに楽しくなれます。

2020年12月29日 07時27分29秒 | Weblog

この一年、よくぞよくぞ遊んでもらった。畑に遊んでもらった。

あれこれあれこれをして、こそこそ農作業をした。働いた。おかげで寂しくなくてすんだ。

我が家の家の周囲、東西南北の畑には、いまは冬野菜がいっぱいだ。緑が滴っている。

野菜の間の草取り草むしりをしているだけで、慰められる。元気にさせてもらえる。

畑さん、来年もどうぞよろしくお願いします。あなたはわたしの無二の親友です。あなたといっしょにいるとわたしは簡単にすぐに楽しくなれます。

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