今日は、しかしながら、いい一日になった。
願望が成就したからである。買いたいと思っていたものが買えたのだ。多額のお金を要したのではない。少額である。でもそこへ行って、昼間、そこでそれがやっと買えたのである。手に入ったのである。
ここから何かが開けて来る。そういう予感がする。入口についた、という感じがする。心が弾む。
☆
成就するということは、それがなんであっても嬉しいことなのだ。次なる成就が見えて来る。
わたしを乗せたトロッコは、否定に落ちないで肯定へ向かう。落下せずに上昇へ向かう。
今日は、しかしながら、いい一日になった。
願望が成就したからである。買いたいと思っていたものが買えたのだ。多額のお金を要したのではない。少額である。でもそこへ行って、昼間、そこでそれがやっと買えたのである。手に入ったのである。
ここから何かが開けて来る。そういう予感がする。入口についた、という感じがする。心が弾む。
☆
成就するということは、それがなんであっても嬉しいことなのだ。次なる成就が見えて来る。
わたしを乗せたトロッコは、否定に落ちないで肯定へ向かう。落下せずに上昇へ向かう。
目覚めたら、ガラス戸の向こうが闇に包まれていた。わたしはうとうととしてしまっていた。うとうとは心地よい。睡魔は快。判断が鈍る。朦朧となる。
目を開けた。柱時計がまもなく6時になろうとしていた。てっきりもうすぐ朝が来ると思って嬉しくなった。訂正がはいるまでにしばらくかかった。朝の6時ではなくて夕方の6時になろうとしているのだった。
いきなり冷え込んでいる。エアコンの暖房を強くして、これに耐える。そうしないと、指が凍り付いてしまうような不安が襲う。座っている尻の下に指を敷いてあたためる。
☆
夕食が出来上がりましたよ、の掛け声がまもなくかかるだろう。熱燗を飲もう。あたたまろう。
昨日、夜に、諏訪内晶子さんの弾くベートーベンのバイオリン協奏曲作品61を聴いた。NHK教育放送のテレビ番組で。聞き惚れた。魂が快哉を叫んだ。よろこんだ。ベートーベンよ、よくもまあこんな名曲を作曲してくれた。諏訪内さんの指が神様の指に見えた。
案外そうだったのかも知れない。わたしをよろこばせようとする天使だったのかもしれない。
ふっふっふ。夜が明けたぞ。とうとう夜が明けたぞ。待っていた。障子戸の向こうが明るい。雀が来て鳴いている。元気がいい。その元気を聞いてもらい受ける。
待っていたものが来る、というのはいいなあ。ふふふ、こんな楽しみ方があったんだ! 「待って待っていたから、それでそれがわたしにもやって来た」と考えるとしみじみ嬉しいじゃないか。夜明けだろうと何だろうと。
わははわはは。今とっても会いたい人がいる。会いたい。会わずに来たから会いたい。そういう人がいると、いるというだけでこの世が薔薇色になる。薔薇の香りに包まれて来る。会っても会わなくても、ここが薔薇の花園になる。いい気なもんだ、まったく。
待つ。その日を待つ。会える日を待つ。いつか会えるに違いない。会ったらどうするか。それはまだ考えていない。これから考えよう。その人は風景。風景のような存在。美しい山や海や空のような風景に等しい。わたしは、だから、ただ眺めてそれで終わりにするだろう。
また会える世界があって夕日落つ
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この作品が川柳部門で入選していた。季語がないのが川柳。僕にはそれくらいの心得しかない。
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また会える世界。漠然とだけど、そんな世界が待っていてくれそうに思う。
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夕日が落ちるが、次の日には朝日が昇って来る。輝きながら夕日が落ちるとそのあとには闇が全体を覆うことになるが、闇はやがて霽れて朝が来て、そこからはまたその全体が明るくなる。
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また会える世界。そういう世界があったら、やあやあやあ、と互いに互いを見つけて、声を発して、歩み寄るだろう、抱き合うだろう、懐かしみ合うだろう。なあんだ、また会えたじゃないか、そう思って実感してほっとするだろう。元気が満ちあふれてくるだろう。
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あるともないとも分からないのだが、「ある」に賭けてみる。夕日が輝いて海に落ちる。海に落ちるように見えるが、実際は海に落ちたりはしない。わたしたちを乗せた地球がゆっくり回転しているだけだ。こっち側が回転しているだけだ。「ある」世界は、回転に無関係にして、ある。こちらの立場を超えて超えて、いつも「ある」。はずである。
ただいま午前5時、10分前。4時に起床した。寝てても夢ばかり見る。訳の分からない夢が多い。ぐだぐだぐだと続く。嫌になった。起きた方がまし、だ。
おお、寒い。炬燵に入り込んで、エアコンをつけて暖房を図る。指先が寒くて痛い。霜が降りていることだろう。鼻水が染み出してきてウサギの鼻のように鼻先を湿らせる。
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今日は12月21日。月曜になっている。2020年は11日を残すのみになった。健康で健全で申し分がない宇宙の、智慧の働きによって、大慈悲の実践によって、ここまで順当に歳月が動いてきた。それをよろこんでいよう。よろこんでよろこんでいよう。
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昨日はフカネギを掘って収穫したあとの畑に、今度は、サニーレタスの苗を植えた。15株ほど。たったそれだけの労働だったのに、元気をもらった。土から元気をもらった。機嫌が一気に良くなった。
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午前中は峠を越えて行って海の広がる町を訪れた。魚市場のようなところに立ち寄って、うまそうなお魚を仕入れた、少しだけ。黒むつが列んでいた。チヌが列んでいた。客が多かった。もちろんみなさんマスクをつけていた。
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で、今日はなにをしようか。読者文芸の投稿作品を書いて投稿しよう。短歌部門と俳句部門と川柳部門に。それぞれ3作品をメールで投稿する。推敲に推敲を重ねるから、たっぷり時間が掛かる。
それでも、毎回ほとんど落選の憂き目を見るだけなんだけど。ああじゃないこうじゃないとあれこれあれこれ思案して文学している気分の、そのそれらしい時間が楽しいのだからそれでいいはず。