早朝6時から畑に出た。有機肥料と有機石灰を撒いて土作りをしたあとで、白菜とキャベツの種蒔きをした。発芽したらたちまち虫に食べられ尽くすので、殺虫剤を散布した。それから水撒きをした。これでよし。7時半には作業を中止した。日が昇って来た。照らされたら暑くなった。
汗を掻いた。シャワーを浴びました。すっきりした。
朝になっても気温がそれほど下がらない。やりたくないなあとも思っていたが、やり通した。
早朝6時から畑に出た。有機肥料と有機石灰を撒いて土作りをしたあとで、白菜とキャベツの種蒔きをした。発芽したらたちまち虫に食べられ尽くすので、殺虫剤を散布した。それから水撒きをした。これでよし。7時半には作業を中止した。日が昇って来た。照らされたら暑くなった。
汗を掻いた。シャワーを浴びました。すっきりした。
朝になっても気温がそれほど下がらない。やりたくないなあとも思っていたが、やり通した。
衆生病む故に病むなり 今日夏日我はとうとう摩詰なりけり 山鳩暮風
☆
維摩詰は維摩経の登場人物。在家の長者である。そこに「衆生病む、故に我病むなり」とある。衆生が病んでいるときに、救済者は病む。病まねばならない。病まなければ衆生の病を治癒せせることはできぬ。病が治癒すれば、救済者も治癒して健康になれる。
☆
わたしが維摩詰に等しき者になったということは? 衆生救済のためにわたしが病になったということである。衆生救済のためであるから、病になったということを嫌悪してはならない。よろこばねばならない。衆生が救済できるようになったという証でもあるのだ。
・・・などと思いやって、夏風邪に身を委ねているということである。理屈はどうにでも立つ。しかし、病になるということは、意義あることであることには間違いない。そんなふうに思いやって慰めてみた。
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この短歌もやはり落選だった。あはれ。
午後2時半の当地の外気温は35・7℃。玄関を開けただけで、ぼああんとする。
意欲減退。日が陰ってからでないと畑には出て行けそうもない。いい加減雨が降ってくれないかなあ。夕立でもいい。
畑がひりひりひり乾いている。植物がみな熱射病を起こしそうだ。さだめし喉がカラカラだろうなあ。
人間は冷房の入った家の中にいるから、さほど困らないが、逃げる足のない植物たちは、辛いだろうなあ。辛くてもどうする術もないから、じっとしている。忍耐強くしている。
ギブアップして枯れてきそうな草木もある。「みんなが住む地球をこんなに暑くしたのは何処のどいつだあ!」と抗議している声が聞こえてきそう。
今朝7時から8時まで一時間ほど近くにある檀家寺の清掃奉仕をした。
寺の役員さん方が大勢集まって来られた。高齢者が多かった。高齢者と雖みなさん意気軒昂で矍鑠としておられた。威勢に押されてしまった。
みなさんは電動草刈り機でお寺の内外の草藪を刈り取って行かれた。寺の境内は広い。孟宗竹の竹林もある。
わたしは麻痺の足をしているから電動刈り取り機が使えない。庭先の草を農具を使って抜き去る作業をした。幸い日が差して来ないところだったので暑さを感じないですんだ。
88歳の男性の方が、体が柔軟で、体を曲げて両手を足先にぺたりとついて見せられた。びっくりした。いやはや、みなさんタフ。高齢者もこうだとよかろう。
たらちねの母が吊りにし青蚊帳をすがしといねつ弛みたれども
作者が喉元まで来てそこから這い出して来ないよー。
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夏の夜。ふるさとに久しぶりに帰省した。母が出迎えてくれた。母が作ってくれた料理に舌鼓を打った。座敷に床を延べて、蚊帳を吊ってくれた。腰の曲がった母が吊った蚊帳は弛んでいたけれども、清々しかった。
午後から友人が来訪。冷房の部屋で、4時間お喋りしました。お喋りが得意でないのに。
日が陰ったところで、友人は立ち上がりました。久しぶりでお喋りができたと言って。
日が西に傾いた夕方5時から6時半まで外に出てみました。1時間半、東の畑の草取りをしました。椅子を動かしながら。
日が落ちても、気温が高く汗だくになりました。下着も上着も汗まみれになりました。
でも、働いたぞという充実感を得ました。たいしたことはしていないのに。
風呂場に直行してシャワーを浴びました。石鹸で汗を洗い流しました。爽やかになりました。。
いま夜中の2時。少し過ぎた。耳に、秋の声が聞こえて来る。リリリリ、リリリリ、リリリリと。
今日は8月29日。残り3日で8月は終わる。
夜風がちょっとだけ冷たい。冷たく感じらる。
さ、もう一寝入りしよう。6時になれば夜が明ける。
いつまで畑に出て行けるのだろう。ふっとそんなことを考える。体が弱っている。無理もない。この高齢である。何もかも機能が衰えている。疲労が早い。
よろよろ、ヨボヨボだからなあ。仕方がないなあ。
これから先はどうなっていくのだろう?
草取りもできなくなれば、畑も庭も草ぼうぼうになるだろう。人が住まない家になってしまうだろう。
いつまで畑に出て行けるのだろう。ふっとそんなことを考える。体が弱っている。無理もない。この高齢である。何もかも機能が衰えている。疲労が早い。
よろよろ、ヨボヨボだからなあ。仕方がないなあ。
これから先はどうなっていくのだろう?
草取りもできなくなれば、畑も庭も草ぼうぼうになるだろう。人が住まない家になってしまうだろう。