いつも思うこと。どうして草はお喋りをしないのだろう?
お喋りをしているふうにも見えるが、その声は聞こえてこない。
草が話しかける声を持っていたら、いまよりはずいぶんたくさん野原は楽しくなのかもしれない。
などと思う。
そうなったら、しかし、一度にどっと野原は東京のど真ん中の喧噪地帯になってしまうかもしれない。だと、嫌だな。
やっぱりひっそりとして静かな方がいいな。
人間は声を持っている。口からそれを銃にする。
声にちゃんと意味を持たせてもいる。
野原の草にはそれがない。じゃ、草は、意味を感じていないのかしらん?
そうでもないように見える。そこで落ち着き払っているからだ。
とすると、落ち着きを得る道具は声だけではないのかもしれないな。
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