此(この)一日の身命(しんめい)は、尊ぶべき身命なり。尊ぶべき形骸なり。此(この)行持あらん身心自(みず)からも愛すべし。自らも敬うべし。我等が行持に依りて諸仏の行持見成(けんじょう)し、諸仏の大道通達するなり。
曹洞宗経典「修証義」第5章「行持報恩」より
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難しい。でも、惹かれる。惹かれても難しいのは難しい。だから、なんとなく分かったつもりで読むことにする。だから、精確な解釈ではない。
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形骸:肉体。むくろ。精神のないからだ。建物などの骨組。外形。(電子辞書より)
行持;仏道修行。曹洞宗では座禅を指しているか。
身命:おいのち。我が身に宿っている生命。
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一日の仏道修行(座禅)は100歳を生きることに値するので、一日の仏道修行をする心身を尊ぶべきである。形骸があるからそこにこころが宿っているのだから、形骸をも尊ぶべきである。
仏道修行をする我が身は身も心も大切に扱うべきである。だからまずもって自らが率先して大切にする気持ちを起こすべきである。
わたしが仏道修行をすると、そこではじめて諸仏の仏道修行が完成を見るのである。諸仏がわたしの救済を願ったので、それがそのわたしに、実現したからである。
わたしが仏道修行を実践したことで、諸仏の大きな仏の道が通達したことになるからである。諸仏の歩む大道を通達させてしまうほどに、わたしの一日の仏道修行(座禅)が尊いのである。
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と、まあ、そんなふうに読んでみました。間違っているかも知れません。でも、力をもらいました。