渋滞がうれしい 彼女送る道
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これは川柳のようです。
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YouTubeで今日、臨済宗の花園大学総長の方の講演を聞きました。般若心経の講義の第一回でした。そこでこの川柳が引用されました。
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渋滞が長引けば苦痛になりますが、好きな人を送っている高速道では、それがそうではなくて、長くなればなるほど嬉しくなっています。いっしょにいられる時間が長くなるからです。
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だから、渋滞そのものが苦痛ではなくて、それをどう受け止めているかが、善し悪しの判断を左右しています。
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受け止めようでは事態が逆転します。
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だったら、ものごとを一方的に固定しなくてすむことになります。
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では、いつも好きな人を乗せていることにしたらいいのです。ですよね。誰も乗っていなくても。
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考えようでどうにでもなるのなら。
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自分の思いによってのみ自分の次の行動がが決定づけられている、としたら、脳内の思いに絶対服従することは軽率なことになります。
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「一切皆空」であるのに、「空」を「実」として固定化して、わたしたちは苦しんでいます。
でも、苦の実体はないのだ、と。
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講演者はそのことを、分かりやすい川柳を使って説明を図っておられるようでした。
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